病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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第4回全国小児病棟遊びのボランティア交流集会

2016年3月12日(土)

第4回全国小児病棟遊びのボランティア交流集会のご報告

東京文京区のエーザイ本社ホールにて全国から遊びのボランティアに関心をもつ方々が集まりました。

遊びのボランティアは「入院していても遊びたい!」そんなこどもの思いに応えて病院に遊びを届けています。

でも病院にボランティアが入るのって簡単ではありません。感染の問題、事故をおこしたら誰が責任をとるの?って。

パネラーたちは、本人、お母さん、ボランティア、医師、看護師、大学の先生ら病気の子どもに関わるさまざまな立場の方々17人です。

司会は会場の皆さんに

「今日はどうしてお見えになったのですか?」

「これからこどもホスピスがオープンするので、勉強にきました」

「よその病院がどんなことをしているか知りたくて沖縄からやってきました」

「ボランティアはどうやって入っていったのですか」

「入ったあとにどんな困難がありましたか?」

「どういう人がコーディネーターになるんですか」

「ボランティアといえど、お金がかかる、そこはどうしていますか?」

アッという間の6時間でした。

27人で始まったこの会も年を重ねるたびに、たくさんの仲間と出逢い、知り合い、その輪が広がっています。今回は100人近い方々がお見えになりました。内容は抄録で報告しますね。

開催においては、会場提供いただいたエーザイ㈱さま、キリン財団さま、ありがとうございます。

準備設営に連日連夜のボランティアさんたちお疲れ様。会場にお越しいただいた皆様、ありがとうございました。

全国小児病棟遊びのボランティア共同委員

認定NPO法人病気の子ども支援ネット遊びのボランティア 坂上 和子

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第4回 全国小児病棟遊びのボランティア交流集会でてんやわんや

第4回のネットワーク交流会が近くなりました。 これまで共同委員会は4月、8月、10月とこの1月に開催し、いよいよ大詰めを迎えています。 2016年1月19日(火曜)は会場となるエーザイ本社(文京区小石川)に共同委員ほか8人が参りました。 会場の設営やIT機器の確認で午前中はホール担当者との細かい打合せをし午後からはボランティアも交えて当日の受付や司会の進行について話し合いました。 これから各小児医療施設や遊びのボランティア団体にチラシの郵送をして、参加を呼びかけたり、忙しくなります。今回4回目は「白熱教室」と称して会場と丁々発止やりとりする形式です。おもしろくなるぞ! 写真は会場を視察して、横断幕のサイズを測ったり、パネラーの位置を決めている共同委員らです なぜ写真逆さまになるの??訂正できずすみません 
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退院したリク君とディズニーランドへ

2015年12月17日(金) 参加は4人 リクくん(3歳)とママ とガラガラドン2名
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{%女の子ロングdeka%}リクママ  この度は、楽しい夢の時間ありがとうございました。 入院していた、日々を思い出し、こんなに楽しい時間を過ごせるなんて。生きているとは素晴らしいなと、感極まる思いでした。慌ただしく、毎日を過ごすことが出来ているこんにちを、改めて振り返ることが出来る機会でした。ご招待して頂き心より、感謝申し上げます。白血病寛解して早二年、ようやくほっとしたのもつかの間、発達障害の診断をされました。息子は成長につれ、強い個性が出てきておりますが、皆様の心暖かい支援により、今日も元気はつらつ、飛び回っております。 {%チョキwebry%}遊びのボランティア古賀恵子 「古賀さん、リクくん退院して2年になりますね、お祝いに、ディズニーランド行かない?いただいた招待券があるの」と坂上さんに誘われ、30数年ぶりのディズニーランドへリクくんとママと坂上さんと私の4人で行きました。 リク君が入院していた約7か月、私は土曜と平日にも訪問していたので、ほかのボランティアよりもいろいろな思い出があります。また、退院後も定期検診の待ち時間に、天気なら病院の近くの公園で、雨天は屋内のこども支援センターで遊んだりしていましたので、私にとっては孫のような存在です。 2か月ぶりに会ったリクくんは、この間いろんなことがありました。引越しされて、環境も変わり、新しいお友だちとの出会いもあってか、顔つきがちょっとお兄さんらしくなったと感じました。 舞浜駅につくと、リクくんは大勢の人で賑わうためかテンションが上がり、ピョンピョン跳ねたり、うれしそうでした。中に入ると、丁度パレードが始まっていて、しばらく見ていました。その間、ママはパンフレットを見て、今日の計画を立てていました。広い敷地のどこから回れば無駄なくたくさん乗り物に乗れるか、真剣なお顔で―。 最初はリクくんが好きな「イッツアスモールワールド」に行ってみました。大行列です。すると、ママは「愛の手帳」を係員に見せて、(手帳があると、時間の予約ができるそうで)、予約をそこで済ませ、その間、ほかのすいたアトラクションで遊んで、時間になったら、「イッツアスモールワールド」に戻りました。並ばずにすっと入れました。ママがディズニーランドを知り尽くしてしていて、テキパキと無駄のない企画力に感心しました。 リクくんはママの手をしっかりつないで、乗り物もママと一緒に乗りますが、「ホーンテッドマンション」というおばけ屋敷では、私がリクくんと一緒に乗りました。怖がることもなくじっと見ていて、カボチャのお化けは「アッ 知ってる」の表情でした。最近見たばかりですものね。 「イッツアスモールワールド」のからくり時計もお気に入りです。動き出すと走っていき、じっと見ていました。 「ミッキーマウスフィルファーマジック」では歌に合わせ、大きな声で歌って楽しんでいました。 パレードは3回見ました。アトラクションは、プーさんの「ハニーハント」、「ジャングルクルーズ」、「白雪姫と7人の小人」、「空飛ぶダンボ」を加えて7つ!!目いっぱい楽しみました。帰りには、あたりは暗くなり、クリスマスツリーに灯りがともり、きれいさ倍増。「たのしかった!」とママ。リクくんも一日中ごきげんで、帰り道も抱っこは少しで「ヨーイドン」で駅まで走り、元気いっぱいでした。 翌日、ママからのメール「朝は9時まで寝てました。起こしても起こしてもおきなかった!そして、ムクリと起きてメチャクチャ笑顔で「くっかー!」と、叫んでいました。夢の国の続きはきっと、まだまだ続いています」との報告でした。私もレンタル孫のリクちゃんと楽しいばーばの一日でした。 {%拍手webry%}コーディネーター坂上和子 今回のディズニーランドは賛助会員のYさんから頂いた招待券です。「通信で退院された患者さんとディズニーランドへ行った話を読み、こんな応援も喜ばれるのかと知りました。これも使っていただけますか」とー。リク君の入院は厳しいものでした。感染症にかかりやすいため個室から一歩も出られない日々が7か月もありました。24時間付き添うママもいろいろな制限のある中で、よくがんばっておられました。こうして夢の国で羽を思いっきり広げて、笑顔いっぱい笑い転げる日が来るなんて私たちも嬉しかったです。古賀さんと遊ぶリク君もほら、ぴかぴか笑顔!こんな素敵なプレゼントを下さったYさん、ありがとうございました。

忘年会2015

2015年12月12日 ガラガラドン忘年会 参加者 14人。(ボランティア13人と元小児がん患者1名) 時間 16時半~20時半
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さしつ、さされつ「らいねんもよろしく」
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大賑わいで靴は廊下の外にも
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この日はボランティア活動の後に事務所で忘年会をしました。 もちよりのごちそうは、大鍋にいっぱいのおでんとイワシ・するめのてんぷら、もずく酢、青菜の胡麻和え、ぐらたん、ニンジンさらだ、かぼちゃの素揚げ、チャーシュウ、カボチャサラダ、五目ずし、れんこん煮物など十数種類の料理がならび、2台のテーブルにごちそうが収まらず、急きょ段ボールの即席テーブルを作ったほどです。 乾杯のあと、ごちそうに箸をつけながら、各自、今年の重大ニュースの報告をしてもらいました。 山本:小中の副校長をしています。次女がめでたく結婚がきまりました。(大きな拍手) 田生:8月に転職しました。塾の講師から障害児の施設職員になりました。ボランティアの経験が役にたっています。 山中:子ども3人の母親です。保育士資格をがんばって取って現在乳児院で働きはじめました。 浅野:2児の父親です。土曜の午後月1回という条件なので、昨年からボランティアを始めました。我が家のビッグニュースは小学生の娘が絵画コンクールに受賞されたことです。 今泉:ボランティアを始めて2年目です。今年はあこがれのバイオリンを始めました。 猪又:子どもと遊ぶボランティアを探していてガラガラドンを見つけました。活動歴は1回です。まだ新人です。 古賀:今は退職していますが保育園に努めていました。この活動は素晴らしいと思っています。それとガラガラドンにとって坂上さんが今年大学院を卒業されたので、それがビッグニュースです。私は大学院の体験記を読ませてもらい、病院におけるコーディネーターの重要性をいっそう感じています。 萬谷:坂上さんの大学院卒業はガラガラドンの大きなニュースです。80年代に始めて病院で小児がんの子どもと母親に会って、弁当の差し入れを始めているわけですが、相手のニーズを実行に移す、それが大学、大学院に続いている。坂上さんは書いて発信してきたわけですが、坂上さんの論文は個人のものではなく社会にボランティアコーディネーターを位置付けていくための学問でした。めでたく修了されて、これは活動の成果といえると思います。私事ですが、「キミコ・プラン・ドウと私」と題して調布文化会館で水彩画展を開催します。 佐藤:来年1月から臨床アロマセラピスト目指して2年間、学校に通います。 小川:特別支援学校の教員です。今年試験に受かって主任になりました。それと海の近くに引っ越して休日はサーファーをしています 学生:大学のゼミで坂上さんの本をよみ、入院児の遊びや保育に感心をもってこのボランティアに参加しました。 元患者Aさん:小学校4年生から中学2年まで白血病の治療のため入院していました。ガラガラドンとたくさん遊んでいただきました。今年は大学の英文科に入って、今英語を勉強しています。それと週3日、アルバイトも始めました。大学とアルバイトの両立が厳しいです。 坂上:みなさんに助けていただいて、60にして大学院を修了することができました。命からがら、体を壊さず修了できましたのも、ボランティアの皆様のおかげです。ありがとうございました。この研究を今後の小児医療の改善にむけて生かしたいと思っています。修了の詳細はhttp://asovo.at.webry.info/201504/article_2.html

「にこにこトマト」20周年の会」に行ってきました

2015年10月31日(土曜) 100人の立食パーティー、懐かしい方々と乾杯!
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京都大学医学部付属病院の小児病棟の「にこにこトマト」というボランティアの団体があります。今年20周年を迎え、10月31日(日)に20周年記念行事が開催されました。20年というと、生まれた子どもが二十歳になる年月です。「ガラガラドン」は1991年生まれで、来年25歳になるので、「にこにこトマト」とは4つ違いの妹みたいな存在です。 「にこにこトマト」は代表の神田美子さんがお嬢さんの入院をきっかけに、活動を始められました。 病院らしからぬイベント盛りだくさんの行事は、夏祭り、ハロイン、バザー、そのほか、音楽活動や絵画など週に4日ほど盛りだくさんのイベントが開催され、社会にあるものをどんどん病院に取り込んでいます。 この日はハロウィンの日でした。入口の白い壁はオレンジと黒にそまっていて、さっそくこどもワールド「にこにこトマト」にようこそという感じで歓迎ムードです。受付の名札は美しい墨の筆文字で手作りの切り絵が施されてたり、プログラムもあけてびっくり玉手箱。売店はシャツやグッズ、手作り品が並び、私の本も売って下さっていました。プログラムは主に3部構成で、①講演、②パーティ、③余興とあり、この中で一番の楽しみは①講演です。ぜったいに聞き逃せないと、東京6時半発の新幹線に乗ってかけつけました。 ご講演はサングラスに背広の小寺洋一さん小寺さんの話を直接聞けるってとてもラッキーなこと。小寺さんは20年ほど前になりますが、大学3年生のときに失明され、その後、点字や歩行訓練を受けて一人暮しを始められた方です。当時21歳という若さでした。真っ暗闇のどん底に落ちて、なげいている暇はない、生きていくため今何をすべきかを次々考え、向上していく姿が毎回の「にこトマ」通信に綴られていました。「ウサギと亀の話、本当にあるんですよ、努力していると追い抜いちゃうってことが」って。努力の積み重ねは奇跡を起こして一発逆転ではないけれど、最後はやっぱり奇跡を見るようでした。 彼は失明から3年たって一人旅に挑戦していますが、その行先がニュージーランドで3か月のバックパッカー。英語が堪能なのかと思ったら、3か月前に始めたとかで、この英語で通じるか?程度で行っちゃう度胸はあっぱれ。その話はご著書「白い杖の一人旅」に譲りますが、さらにその後大学に挑戦し、心理学を学ばれ、今はカウンセラーとして、あるいは京都府視覚障害者協会の理事として活躍されてます。 小寺さんの話は「私も同じ」と思わせるところがうまいんです!1時間の講演の中で印象に残った言葉のひとつに「手助けしてもらうことで、相手にもプラスになる」って。失明してから人の手を借りないと先に進めなかった小寺さんは、「すみません、ありがとう」と何度も繰り返すことに嫌気がさしながら、ある時、自分のすみませんは「相手にもプラスになっている」ことに気づかれます。 私たちガラガラドンにも、そういうことってよくあること。子どものベッドサイドに遊びに行くと、「スミマセン、昨日から病室出る時間なかったので、ちょっとパン買ってきていいですか?」、「どうぞ、ごゆっくり。コーヒーも飲んできてくださいね」、「ありがとうございます。助かりました」。ボランティアたちも役にたてた喜びを得られ、たくさんのプラスをもらって帰っていきます。もう1つ、小寺さんは「重大なことを(失明して)失ったが、かわりに他の重大なことを手に入れた」という表現をなさってました。体験者から出た言葉だけに説得力があります。私も8歳で孤児になって、カトリック系の児童養護施設で育ちました。重大なこと(親)を失ったかわりに重大なこと(他者の支援と無償の愛)を手に入れたと実感しています。あるいは、会場にはお子さんが難病で入院されたり、亡くされたり、筆舌に尽くしがたい経験から「重大なことを失った」方もいらっしゃいます。しかし一方で「他の重大なことを手にいれた」であろう会場の皆さんの共感が、終了時の割れんばかりの拍手に感じました。 ②の立食パーティでは、100人もの人がいました。「高谷さん、ラインやってる?アドレス教えて」「坂上さん、スマホ?」「え~負けてられない、ガラ系から変えようかな(しぶたね)」「ショップの買い物も行こう」「小寺さんにサインもらわないと」なんて、食べながら、しゃべりながら、名刺交換しながら、新しい友達も出来ました。 ③余興は「にこトマ」プレイルームの実演版。お馴染み、たっきゅうさんの大道芸、手を変え品を変えてのマジックと話術に腹を抱えて笑い転げるひと時がありました。最後にゆうこさんの登場。ソプラノの美しい声でアヴェマリアが流れると、隣からも、後ろからもむせび泣きが―。「にこトマ」ワールドのほんの一端を体験させて頂きました。 会場入り口には、にこトマの写真展があり、日ごろの活動の風景が見られます。でも、最初からこうではなかったのです。病院というところは、命ぎりぎりに向き合う子どもがいて、親も疲労困憊しています。感染、プライバシーに配慮し、こども中心の遊びの活動を展開していくことは簡単なことではありません。病院も最初の頃は固かったでしょう、冷たかったでしょう。しかし、20年がたちりっぱな遊びのボランティアの花が咲きました。同じ活動の道を歩んできた者として大変うれしい存在です。「にこにこトマト」20周年おめでとうございます。 国立国際医療研究センター小児病棟 ガラガラドン代表 坂上和子  全国小児病棟「遊びのボランティア」ネットワーク 共同代表 写真展「みてみて」「どれどれ」
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代表の神田美子さん(中央) 坂上(左) 林三枝さん(右・ハートリンク)
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名札は筆文字 シールや切り絵で愛嬌たっぷり
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あかねちゃんの快気祝いに北海道へ 離れていても応援するよ

2015年10月10日~12日 訪問者 坂上和子 加藤郁子(パソコンインストラクター) {%飛行機webry%}三年前までガラガラドンのいる病院で闘病していたあかねちゃん(20歳)の快気祝いに北海道に加藤さんと行きました。 二泊の旅は車で移動、女満別空港でおりて、網走から美幌峠、屈斜路湖摩周湖、阿寒湖をまわり、富良野にもいきました。あかねちゃんちやママのお店にも行きました。 「北海道は広いよ、新宿みたいに人がいないよ、新宿は車と人だらけ、家も隙間がないね、」と言っていたとおり、広くて、人が少なくて、車すいすいでした。 あかねちゃんは入院当時17歳でした。きつい治療を受け、やっと退院できたのに、再発し、約9か月、北海道で治療をうけました。2度目は移植が必要で、その当時は体重が20キロへり、起き上がることも出来なかったほどです。けれどもこの夏に移植も生着し、退院できて、伊豆高原のホテルにも一緒にきました。http://asovo.at.webry.info/201508/article_1.html この間、体力もつき、見違えるほどふっくらして、髪も伸びておじょさんらしくなり、「仕事も短い時間、はじめようかな」と聞いたので、快気祝いに何がいいかな?と考えました。そうだ、一緒に旅をしようと思い、加藤さんに声をかけました。天気に恵まれ、紅葉もきれいでした。たくさんおしゃべりして、ジンギスカンやらカニなど食べながら、入院中にできなかったことを楽しみました。何よりあかねちゃんの笑顔が嬉しかったです。 高度医療の病院で私たちはいろいろな子どもたちと出会います。中にはあかねちゃんのように遠く北海道からやってきて、親子は孤独な環境に耐えて闘病しています。遊びのボランティアはそうした親子とのつながりが入院中だけでなく、退院してもつながっています。離れていても応援しているからね!コーディネーター坂上和子                             {%車webry%}私は、あかねちゃんがガラガラドンのいる国際医療研究センターで出会いました。治療中に時間があるから「MOSを取得したい」ということでパソコンボランティアを募集していたのをきっかけにガラガラドンの活動に携わることになりました。http://asovo.at.webry.info/201212/article_2.html はじめてあかねちゃんを訪問したときはマスクとガウンを着用しなくてはいけなくてちょっと緊張してしまいましたが笑顔で迎えてくれました。あかねちゃんは意思をきちんと言ってくれたので「素直でやる気のある子、教えやすくてよかった」と安心しました。お勉強ばかりだと飽きてしまうので、図形を組み合わせてお絵かきをしたらお世話になっている大好きな看護婦さんの似顔絵をたくさん描きはじめ、それがとてもかわいく上手に描けていました。シール用紙に印刷してプレゼントして、とても喜んでもらえたそうです(あれはもらったら絶対うれしいと思います)。あかねちゃんの体調に合わせての訪問だったので回数はあまり多くなかったですが、試験という目標の途中で楽しめる要素がもっとあってもいいのではないかと思うようになり、仕事(女子高の教員です)にも活かしています。あかねちゃんのおかげで、私の担当クラスのJKたちは授業で「ジャニーズの応援うちわを好きなもので」作って楽しんでいます♪(その前は希望者のみ休み時間とか放課後に教えてました)。その後、通信や坂上さんからあかねちゃんの様子を聞いてどうしているかなと思っていました。 秋にあかねちゃんに会いに行きませんかと坂上さんに誘っていただき3連休を利用して行ってきました。去年再発して、今度は新宿ではなく、地元で治療を受けていたと聞いていたので、どんな様子なのかと気になっていたのですが、女満別空港に迎えにきてくれたあかねちゃんは、思っていたよりずっと元気そうでちゃんとご飯もしっかり食べていて、ほっとしました。 網走→美幌峠→阿寒湖→帯広→富良野→帯広とあかねちゃんとあかねちゃん家族が車で案内してくれました。ちょうど紅葉がきれいな時期で、北海道らしい景色はもちろん見たことのない道路標識もあり、車で走っているだけで楽しかったです。現地ならではのおいしいお料理(いくら、カニ、ジンギスカン)やお菓子もたくさん食べて、楽しいおいしい2泊3日を過ごすことができました。何より元気なあかねちゃんの笑顔に出会えてうれしかったです。 ^^加藤郁子 あかね{%メールdocomo%} 北海道にまたきてね~ 雄大な北海道をスイスイ走って食べて笑いました
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平成27年度 「しんくみピーターパンカード」寄付金贈呈式

2015年9月3日(金)   出席:坂上と萬谷副理事 会場:東京都信用組合協会役員室 時間:AM10から10時半 東京都信用組合協会の「しんくみピーターパンカード」様より57万7985円を寄付金としていただきました。 この寄付金は障害や難病とたたかっている子どもたちやその家族への支援活動のため、これまで50団体以上に贈呈されています。 八木秀男専務理事より、「協会は直接、活動に関わるわけではありませんが、このようなささやかな資金で皆様の活動を応援したいと思います」とのお言葉をいただきました。ボランティアたちもいっそう、この活動を大切に続けていこうと気持ちをあらたにしております。ありがとうございました。
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