病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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映画「子どもが教えてくれたこと」を見て

f:id:asovo:20180719065804j:image病気の子どもを主人公にした映画が日本にやってきた。監督はフランス人の女性で、ドキュメンタリーで、子ども自身が登場するって。予告編はみたが、どういう映画だろう?ガラガラドンに呼びかけて前売りを買い、7人で見に行った。

主人公は5人の子ども。年齢は小学生が中心で、中には就学前の子どももいる。それぞれ、重い病気で、実際、映画で公開されるころ、この子は生きているだろうかと思えるような危機的な子どももいた。

映画の構成がとても工夫されている。普段、私たちが病気の子どもに接する場合、例えば病院のスタッフなら病院で治療を受けている患者として見るだろう。でもこの映画は病院、学校、家族、地域、あらゆる場面でカメラを回している。なので見ている方が子どもをトータルな視点で見れて全体像が見える。

5人の子どもたちは、とても個性的で、病気を抱えていながら、家族や友達と笑ったり、遊んだり、「病気になっても人生悪くないよ」と言ったりしてそれぞれの場面で子どもの決め台詞があちこちに散らばっている。
中でも私はアンブルという9歳の女の子のセリフにドキッとした。彼女は母親のことを「自分で出来るのに、お母さんは出来ることを奪ってしまう」「子どもの命を信じて欲しい」と訴えていた。この子は重い心臓病で、いつ倒れるか分からないバクダンを抱えているが、「私の人生をママが決めないで、私がきめる」と言っているのだ。

日本では、子どもの大事な治療方針や選択に関わる場合、親に決定権があるのがほとんどだろうし、きっと多くの国もそうだと思う。でもたった9歳の女の子が、「子どもの命を信じて」と言い、決定権は私にあると言う。
この映画、子どもが教えてくれることがいっぱい!

お母さん食堂 半年が経由して

2018/7/7
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今日の注文は1人だけでした。
そこで「ママの食べたいもの、リクエストありますか?」と聞きました。
「焼き魚やナスの煮浸しなんか大好きです。あと酢の物とかお漬物も大好きです」
ということでこんなお弁当になりました。(写真)
あとからこんな感想ラインをいただきました。

👧「今日のお弁当もとても美味しかったです。体に沁みます。茄子も美味しかったし、トウモロコシも甘くて美味しかったです!お魚もカリカリ梅も酢の物も…栄養いただきました^_^」

材料を並べてみました。
ほうれん草、わかめ、しらす、さわらの西京漬け、ナス、きゅうり、人参、とうもろこし、玉ねぎ、生姜、小ねぎ、カリカリ梅、

お母さん食堂は今年2月にはじまりこの日、半年になりました。途中で退院された方も多い中でこの方はまだ付き添いが続いています。1回1回に滋養を考え心をこめてお届けしたい、トウモロコシも生から茹でてサラダにいれたりして。注意すべきは食品が痛みやすい時期なので、朝スーパーで買い物をして、その日の昼前にはお届けするようにしています。

「生と死を考える会」講演

2018年6月30日 千葉県東葛地区「生と死を考える会」でお話しさせていただきました。
活動の歩み27年の中でお見送りしたお子さんとボランティアの触れ合いをお話ししました。その中でガラガラドンのK・Iさんにもご一緒していただきました。K・Iさんに会場から拍手が送られました。みなさんにも聞いていただきたくご紹介します。

 

「息子が与えてくれた遊びのボランティア」

                     ガラガラドンK・I
私は、今NPO病気の子ども支援ネットで遊びのボランティアをさせていただいております。
なぜ、遊びのボランティアに参加させていただくようになったのか。それには、息子がとりもつご縁によります。
今から4年ほど前の2014年7月から、遊びのボランティアに参加させて頂きました。
その1か月ほどまえの5月に、私は息子を神さまのみもとへ送りました。1歳と8日間の生涯でした。
息子は初めての子であり、妊娠が分かった時は、本当に嬉しかったです。
不安と期待が入り混じりながらも、生まれてきてくれるその日まで、主人と楽しみにしていました。
しかし、生まれて間もなく、心臓に異常がある、と言われ、新生児集中治療室がある高度医療の専門病院にすぐに搬送されました。そして先生から告げられたのは、18トリソミーという染色体異常の病気だと言われました。しかも、この病気は1年生きられる確率が10%だというのです。治療方法はなく10人中9人は亡くなるという、恐ろしい事実を突きつけられました。私は先生の言葉を聞きながら、頭は宇宙空間の中をぐるぐる回っているような錯覚に陥りました。この、先生の言葉はなんなんだろう。脳みそが膨らんでいく感じがしました。この子が1年生きられない。一体これはどういうことなのか。先生の言葉に現実を感じることができませんでした。
家に帰って、主人とふたり、声をあげて、腹の底から泣きました。
それから、入院生活が始まりました。毎日病院に通い、息子のベッドに張り付いていました。搾乳を1日7回しながら、絵本を読んであげたり、歌ったり、手や足を動かしたり。夕方を過ぎると、主人が会社帰りに病院に立ち寄って息子の顔を見て、それから一緒に家に帰ります。そんな毎日を繰り返している中で、本当だったら、家族3人で家で過ごし、ベビーカーに乗ってお散歩に行っているのになあと、ベビーカーで散歩している親子を見るとうらめしく思いました。普通でいいのに、どうして普通じゃないんだろう。そんな思いがいつもありました。また、そう思っている自分も嫌でした。
しかしある時から、「そうだ、私は看病しているのではない。子育てをしているのだ。場所が病院、というだけだ。堂々としよう!」と思えるようになりました。
病気とわかっていても、今、目の前に息子が生きていてくれる。これが、どんなに幸せなことか。
息子はNICUからGCU、そして小児病棟に移り、生まれてから10か月目にして、初めて自分の家へ
帰ることができました。
家では、在宅こども専門の診療所、訪問看護、ヘルパーの方々に助けられながら、過ごしました。
しかし、肺炎をきっかけに、再入院し、状態がどんどん悪くなりました。
そして、とうとう、最後の時がきたのです。私と主人は、ひたすらに息子を抱きしめながら、「生まれてきてくれて、ありがとう!」と病室いっぱいに叫び続けていました。そして先生に「今、心臓が動いているのは呼吸器によるものです。呼吸器を止めていいですか」と言われました。私たちは、「はい」とうなずきました。息子はとうとう、神さまのみもとへ行きました。
私は信じられませんでした。同じ部屋の中に、生と死があったのです。呼吸器を止めた瞬間から、生から突然、死に変わったのです。そしてこれ以降、どんなに叫んでも、祈っても、息子が戻ってくることはない。鉄の壁がガシャンと下りたような、有無を言わさないものでした。死は圧倒的で、逆らえない。
そこには、努力とかそのようなものは一切通じない。完璧に私の敗れでした。
死には勝てない。
これが絶望というものなのか。これが死というものなのか。
息子は、1年と8日間、本当によく頑張りました。
息子がいなくなってからの私は、寝ているとき以外は息子のことしか考えられず、涙があふれて、あの時、ああすれば良かった、と後悔ばかりし、あまりの悲しみと痛みに気が狂いそうでした。
息子がいない今、もう、私、死んでもいいんじゃないか、と恐ろしい気持ちがよぎったこともありました。すべてが投げやりになりそうでした。
そのような中でも、毎日考えていました。長く生きられないとわかっていて、生まれてきた息子の人生には意味があったのだろうか。なぜ、長く生きられないとわかっていて生まれてきたのだろうか。
息子の1年という短い人生が無意味だったと思いたくない、息子の人生には意味があったのだとどうしても思いたい。
私はクリスチャンです。毎日毎日、聖書や本を気の済むまで、吸い込まれるように読み続けました。
そして、ある時、神さまは、ひとりひとりを愛されてお造りになられたんだ、ということを知りました。わからないことはまだありますが、短いとか長いとかが問題ではなく、神さまが愛して息子の命を造られた。だから、ひとりひとりの命は神さまから愛されたものだから、意味がある。そうなんだと、思いました。
私は、こんな私でも何か出来ることはないか、とインターネットで探し始めていました。
そこで出会ったのが「遊びのボランティア」だったのです。
病気の子どもと遊ぶ、今だったら、少しは出来るかもしれない、何か役に立つことが出来るかもしれないと思い、すぐに坂上さんに電話をしました。
ボランティアに関わって、この活動がもう20年以上継続されているということに驚きました。さらに活動のきめ細やかさにびっくりしました。1回の活動ごとに、遊んだ子どもとの記録を一人一人取るのです。何をして遊んだか。子どもの遊ぶ前と遊んだ後の変化。活動中にひやりとしたことはなかったか。親の付き添いの声なども。さらに記録も丁寧で、ボランティア用、病院用があり、ボランティアが入ったとき、家族がいなかった場合は家族のために、ボランティアが何をして遊び、どんな様子だったのかメモを残しています。
また、活動後には記録を書くだけでなく、ボランティア同士遊んだ子どもの様子などを報告し合います。「今日はあまり上手く遊べなかったなあ」と落ち込んだり、不安になったりすることもありますが、他のボランティアの話を聞き参考にして、よし!次がんばろうという意欲にもつながっていきます。
またうまくいかなかったときは坂上さんが、「大丈夫よ~!」と励ましてくださるので、安心してボランティアに参加させて頂くことができます。
私も、息子が小児科一般病棟に移ってからは24時間、夜も付き添っていました。この時は、お尻に根っこが生えたように、ずっと病室の椅子に座っていました。外に出れないのです。看護師さんがいるから外出しても大丈夫なのですが、子どもを1人にしたくなかったから、ずっと病室にこもっていました。私の場合は、午前中、午後と、病室を出るのはほんの数回でした。オムツをゴミ箱に捨てに行くのと、談話室にお湯をもらいに行くときっくらいです。もしこの時、「遊びのボランティア」が来てくださっていたら、入院生活ももう少し違うものになっていたかもしれません。
ボランティアを始めて4年経ちましたが、最初から関わっている女の子がいます。
Aちゃんといいます。Aちゃんは、今6歳です。Aちゃんは出産時のトラブルで障害をかかえ、
ずっと病院で暮らしています。自分で体を動かす事が出来ず、話すことが出来ず、意思の疎通も難しい状態です。そういうお子さんにも、絵本を読んだり、歌を歌ったり、楽器を演奏したりして子どものそばにいます。
Aちゃんと何回か遊んだときでした。絵本を一緒に読んでいた時、あれ?絵を目で追って見てる!?と感じられる時がありました。また先輩ボランティアの方が、「今日、本当に久しぶりにAちゃんと遊んだけど、私とだとなんだか緊張してたみたい。今泉さんの時の方がリラックスしてる」
と話してくださいました。
坂上さんが、子どもや親御さんとの関りを丁寧にされているので、いつしか、信頼関係が生まれてきます。今年の春Aちゃんのお母様から「ボランティアの人たちと一緒にAの誕生日を祝いたい」とお話があったそうです。それで坂上さんがボランティアに呼びかけて、皆でカードを書いたりケーキを買ってお祝いしたりみんなで写真を撮ったりと、その日は病室が一気にAちゃんのお祝いモードになりました!
坂上さんは、ひとりひとりの子どもたちがどうしたら病気でも少しでも楽しく入院生活を送れるか、またご家族の不安や痛みを少しでも和らげることができるか、ということに真剣に向き合われています。
病院にはさまざまな状況の子どもたちがいますが、遊べないと決めつけずに、出来るだけ子どもが遊べる状況を作ろうと努力されています。呼吸器をつけている子どもやクリーンルームにいる子どもとも遊びます。看護師さんも重い子どもを優先して遊んで欲しいと声をかけてくれます。
このようなことが出来るのは病院との信頼関係を坂上さんが何年もかかって、築いてきたからこそ、
できることなのです。遊びを通して子どもの輝く笑顔をみたい、遊んで元気を取り戻してほしい、その気持ちが、遊びのボランティアの設立当初から一貫して変わらない坂上さんの信念のように感じています。
この遊びのボランティアをしていて、私にとって、とても支えられたことがあります。それは命日訪問です。ボランティアの方々の中には子どもを亡くされた母親がボランティアが複数います。その方々を中心に、お互い、我が子の命日に訪問し合うのです。
私の時も、誰も息子にあったこともないのに、家まで来て、子どもの写真を一緒に見たり、子どもの話を聞いてくださったりして、本当にありがたかったです。
もうこの世にはいない私の息子のことを、この仲間には思い切って話していいんだ、という安心感がありました。わかってもらえる、うなずいてくれる、一緒に涙を流してくれる人がいる。本当に救われました。
遊びのボランティアを通して、私も子どもたちと一緒に成長していきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。

第14回NPO総会開催

2018年6月17日(日)
正会員27人中、出席21人(委任状6人)をもって開催されました。
議案は29年度の活動報告・会計報告、今年度の活動計画と予算、定款の変更がありました。
議論の中心は会計です。昨年は300万の赤字を抱えて来年は貯金も底をつくところにいます。
NPOもいろいろで介護保険の事業所ように国から委託費が出るところもありますが、うちは独自に活動費を工面しなくてはいけません。
資金が底をついたら、活動自体が出来なくなります。
今後、どう資金をつないでいくか、どんな方法があるだろうかとアイデアを出し合いました。

 

後半はゲストに「お母さん食堂」を利用されたTさんをお招きして、お話しを伺いしました。お子さんがお空に帰られてまだ2か月ほどで、お悲しみのなか、気力をふりしぼってお話しして下さいました。
大学病院の大部屋で約1年半、24時間付き添う体験を初めてご本人から伺いしました。
カーテンで仕切った空間では餃子やカップラーメンなど匂いの強いものは食べられず、おならも出来ない、周囲への気兼ねもあって緊張の連続であったこと、硬くて狭い折りたたみのベッドのため寝返りも出来ず四十肩になって身体を壊し、お子さんの体位変換も思うようにしてあげられなかったと。
なかでも一番辛かったことは「親戚のお見舞いも遠のいて周囲の無関心が辛かった」と言われました。そんな中で、「お母さんの心に体に目を向け心を寄せてくれたお母さん食堂のお弁当は、本当に嬉しかったです」とお話し下さいました。
Tさんのお話を聞いて、常に緊張が絶えず自由な時間もない、食事すら思うように摂れない、眠っても疲れがとれないような環境は、看護する人の気力すら奪ってしまう過酷な状態はどんなにお辛かったかと思います。
お母さん1人が看病を一身に担うのは負担が大きすぎます。看病に当たるご家族の心身をサポートする体制の整備が急務だと思いました。
その解決の1つの方法として、遊びのボランティアの存在やお母さん食堂があるように思いました。
このようなお母さんにとって明るい光となるようにこれからも、心して活動していきたいと思いました。
総会の後は、会員が持ち寄った食事やお菓子をいただきながら、日頃会えないメンバーとの交流を楽しみました。第1週リーダー 佐藤みどり
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iPhoneから送信

6月9日(土曜)ガラガラドン

f:id:asovo:20180610113537j:image遊びの時間14:00-15:30
ボランティア4人 遊んだ子ども8人

今日はボランティアが諸事情で4人だけでした。
「遊べる子どもがたくさんいたら、今日は申し訳ない」と思いながら看護師さんから申し送りを受けましたら9人も!
プレイルームは4人の子どもがいましたが付き添いの家族もいらっしゃったので二人のボランティアがつきました。
阿部さんと坂上は時間を区切って4人のお子さんの相手をしました。

9人は無理でしたが8人の子どもと遊べました。

病院ボランティアの難しさは遊べるの子どもの数が前以て読めないこと。、ボランティアも毎回均一人対応できません。

「今日、どうなることかと思ったけど、なんとかやれたね」
と胸をなでおろしました。

 

写真  子どもに読み聞かせをした本。f:id:asovo:20180610113606j:image

 

通信66号発送

 

f:id:asovo:20180528172700j:image2018年5月27日
通信発送しました。
今回は年間報告とお母さん食堂の報告もあって
400部×2を会員に送りました。
原稿をパソコンで作るってああ、大変!
A3両面カラー、原稿の依頼やら校正やら写真選びやらレイアウトやら。
四十肩(六十肩?)の痛みに耐えながら
で、作成後は富士ゼロックスに持ち込み、バックされたら4人のボランティアが入れ代わり立ち代わりやってきて、紙を二部セットして半折りして更に三つ折りして、この他振込用紙、寄付のお願いの手紙も同封する。封して切手シール貼って、クロネコさんを待ちます。今は目薬さして、肩にサロンパスを貼って虚脱状態・・・
こんなして苦労した通信、皆さん、読んでねーー

通信66号はここで http://www.hospitalasobivol.jp/ 読めます

2018年5月19日(土曜)ガラガラドン

f:id:asovo:20180520103353j:imagef:id:asovo:20180520103404j:image遊びの時間14:00-15:30
ボランティア9人 遊んだ子ども9人
個室3人
大部屋2人
プレイルーム4人

今日のプレイルームは1歳、2歳、3歳の坊やと2か月の赤ちゃんも来ました。
みんな男の子でした。
2か月の赤ちゃんの付き添いはママでしたが他2人はパパで1人は付き添いがいませんでした。
ママが4歳の姉を幼稚園を休ませて離れた実家に預けていること、ここに入院して1週間になること、
近所にきょうだいのと預け先がなくて困っている、ベビーシッターは高くて1週間も利用できないことなど
悩みを話してくれました。
ボランティアのひとりがファミリーサポーターをされているので、ファミサポの制度を教えると
すぐにスマホで検索をし、 「いいことを教えてもらった。予約します」とお礼を言われました。

ほかに2人の坊やがパパと遊んでいました。土曜のせいか、けっこう、パパの付き添い多く見かけます。
子どもがボランティアになついて遊びだすと 「ちょっと見ててもらって、病室に戻っていいですか?」
「いいですよ~3時半までいますから」
1歳坊やはパパが見えなくなると後追いしましたが、ボランティアにあやされると、笑顔を取り戻し遊びはじめました。
そうすると他のパパも「お願いします」と言って出て行ってしまいました。
そのうち、1歳坊やのパパが戻って、遊びの様子を廊下からみています。
「ご機嫌で遊んでいるので3時半までご自由に」とそっと耳打ちするとパパはまたお出かけし、時間になって戻ってきました。
ボランティアと子どもが楽しく遊んでいる様子をみて「ありがとうございました。入院して二日目で、今までぜんぜん笑わなかったんです。知らない人なのに、こんなに笑ってだっこもされてビックリしました」と。
 『あら、そうだったんですか?よく遊んで、いいこでしたよ」と遊びの様子を伝えました。
1歳坊やのパパは ボランティアが帰る時間もわざわざ、エレベーター前で待っていて、深々と頭を下げて下さいしました。
ボランティアもお役にたてて、うれしかったです。