病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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退院おめでとう 2年7か月の闘病を終えて

7月に19歳の誕生日を迎えた男子の話を前にしました。その彼がいよいよ退院しました。2年7か月一緒に遊んだボランティアの以下感想です。(坂) 退院するK君へ  K君と初めて遊んだのは、2007年の3月31日。それから2年と数ヶ月、訪問は続きました。初めの2年間は土曜の午前中の訪問でした。トランプをやったりオセロや将棋をやったり。そんな中で特に印象に残っているのが、移植後にやった将棋。しゃべるのもままならず手も動かしづらいので、将棋の駒を持つのも一苦労。手をプルプルさせながら一手一手打っていく。そんな移植後の体調が良くない中でも将棋に没頭できたということを通して、入院中でも遊びは必要なのだと強く感じました。治療はもちろん必要ですが、治療以外のK君らしさを出せることも必要なのだなと。  そういった状況を見ているからこそ、K君にはこれからの人生、元気に前向きに生きていって欲しいなと思います。19歳、高校も中退してしまっているため、退院するとはいえ大変なことはあると思います。しかし2年と7ヵ月間という長い入院生活の中での試練や、死線を乗り越えたK君なら、これからの人生も強くたくましく生きていってくれると信じています。K君の訪問を通して思春期の子の入院の辛さも見えてきました。入院している多くの子は小学生や乳幼児が多いため、同年代の子どもはいなく、院内学級もない。部屋にはテレビはあるが、インターネットなどは使えない。そんな状況を見て、あまりにも社会から切り離された世界で入院生活を送っているのだなと気づきました。だからこそ、外からの風を吹き込むボランティアは必要だと感じました。しかしそういったことに気づけたのは、土曜のグループ活動ではなく平日の夜に訪問するようになってからです。今年の4月から平日の夜にも、訪問を始めました。すると仕事帰りに毎日夜病院に来ているお母さんとも会うようになりました。お母さんとボランティアが話す機会が増え、家庭の抱えている問題を知りました。毎週末外泊出来るようになると感染の問題などもあって電車は使えないから、タクシーを利用しているそうですがかなりの出費です。区のサービスは障害者手帳がなくて対象外だとか。そういうことを知ってNPO側が送迎ボランティアを募集した所、すぐに見つかり送迎のボランティアも始まりました。遊び相手のボランティアのほかにお弁当を届けるボランティア、送迎ボランティアなども入るようになって、NPOのフットワークの軽さというか、NPOだからできたのだなと感じました。 実は僕はK君の平日ボランティアをしていたある期間、無職でした。千葉の先から往復2000円の交通費は厳しくてボランティアを続けられるか?疑問でした。しかし交通費はNPOが負担してくれました。また平日訪問を始めるにあたって、自分だけだと負担が大きいのでペアが欲しいと言った所、チーム3人で訪問する体制を整えてくれました。 今のK君はある時期、心を閉ざしていたころと違って明るく、朗らかで元気になりました。今では遊びの時間はとても盛り上がっています。しかしその裏には、NPOがあって、ボランティアの調整ほか送迎ボランティア、企業からの支援(カメラのプレゼント)などといった、あちこちの社会支援をつないでくれる存在があったからです。K君チームは一般の市民が一人の白血病の高校生を支えたケースです。特別な人たちではありません。(保育士や心理、CLSであるとか、資格を持っているなどではなく)。NPOが間になければ、ここまで丁寧に一人の患者さんに関わりはもてなかったと思います。これから地域に戻って夜間高校に挑戦するK君。入学するまで在宅を訪問して勉強も教えてあげたいと思っています。木村(27歳) 写真はK君を送迎してくれた稲さんの車(ダイハツのムーブ)
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