病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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20周年記念フォーラム 患者の声1

《これからももっともっと遊びの大切さを伝えてほしい》

ぼくはSと申します。現在22歳で介護福祉士として働いて2年目になります。僕は中学2年のときに小児がんのひとつ、白血病と診断され、国立国際医療研究センターで約4年間を過ごし、退院して現在5年がたちます。入院したのは2004年の8月、当時13歳でした。当時はすぐに退院できるものだと思っていましたが治療が思うようにすすまず、結局骨髄移植をして退院できたのは2008年の9月。入院から4年2カ月がたっていました。中学2年といえばみんなは高校の受験に向かう日々です。ぼくは病院にいたので、受験から取り残され、やむなく定時制高校を選択しました。高校に入っても実際は治療が続いて、入院もしていたので、僕の思い出は楽しい学校生活ではありません。毎日、点滴につながれてるのが日課でした。病気のこと、将来のこと、考えることは嫌な思いばかりでした。外出や外泊のときも、周りで制服を着てる学生がうらやましかったです。みんなは制服を着て学校へ行く、僕は、帽子とマスクを着用して病院へ行く、そんな自分がとてもみじめに思うことがありました。1人泣く事もありました。抗がん剤の治療はとてもきつかったです。腰に太い針を刺して骨髄液を抜く検査や、点滴を刺すために何十回、何百回も検査をしてきました。とても痛くて怖い思いもしてきました。元気なころには知らなかった苦痛、恐怖の日々がありました。そういう闘病生活の中で1つだけ楽しみがありました。それは、週に1度あそびのボランティアのみんなが来てくれる事です。週に1度たった2、3時間という限られた時間ですが、その2、3時間が僕にとって病気のことも忘れられる楽しい時間でした。一緒に話をするだけでも楽しかったです。闘病生活の中で、あそびのボランティアの存在はとても大きいです。2002年~2006年まで、発病、再発、入退院をくり返した闘病生活は人生の中で、1番心に残る経験だったなと思います。

病気と闘った後は、社会と闘っていかなければなりません。義務教育も満足に受けられず、高校にも行ってなければ、資格ももっていません。周りは大学受験や就活、退院後の自分は1人取り残された感じでした。病気になったことを悔やんでもしようがない。1人でがんばっていくしかないと思いました。退院してすぐに高卒単位の取得、そしてバイトも始めました。少しでも周りに追いつきたいという一心で退院後の3年間は、失った時間を取り戻そうと必死でした。

その後もあそびのボランティアのみんなと会ったり交流が続きました。2008年にはガラガラドンが歳末助け合いから寄付を頂いたということでNHKの取材を受け、年末にボランティアの皆様と一緒にテレビ出演し、共演のベッキーさんとも写真を撮りました。

去年は、同じ頃に入院していた子供達とお花見に行き、みんな元気な姿で、楽しい時間を過ごすことができました。

現在退院後は引き続き病院で検査と治療をうけています。がんの抗がん剤治療は免疫力が副作用で低くなってしまうので、病気などの感染に気をつけなければなりません。いろんな不安を抱えているだけに病院で知り合った仲間やボランティアさんたちとつながっていることは心強く思われます。

それから退院後の苦労では医療費の問題があります。20歳までは小児慢性特定疾患で無料ですが、20歳過ぎたら3割負担になってしまいます。その3割がとても負担に思えています。抗がん剤の治療や検査はとても高くて特殊な検査を受けるときは2万、3万と請求がきます。10代で体がぼろぼろになって、這うようにして退院して、やっと働けるようになったら、今度は治療費でお金の多くが消えていきます。治療費の面でも収入に応じて、医療費が低くならないかとか制度がよくなるといいのですが、今はなかなかうまくはいきません。今の僕は介護の資格を取得し、現在は就職して介護福祉士として働いています。入院した経験を活かす仕事ができて、やりがいを感じています。病気の体験は苦しみもありましたが、今ではその体験があってよかったと思っています。

元気になった今もボランティアの皆様と関わりや交流を持てることをとてもうれしく感じています。これからも、もっと、もっと、たくさんの子供達の笑顔、あそぶ事の大切さを伝えてください。