病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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通信45 「息子からのおくりもの」

2011年12月24日(土曜) 通信45にガラガラドンの宮崎さんが原稿を寄せてくださいました。 タイトルは「息子からのおくりもの」 みなさんにもぜひ読んでいただきたいと思い紹介します。
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「ぼくは幸せ-お家にいられれば幸せ ごはんが食べられれば幸せ 空がきれいだと幸せ みんなが幸せだと思わないことも幸せに思えるから ぼくのまわりには幸せがいっぱいあるんだよ」 私は4年前に息子を急性脳症で亡くしました。12歳でした。先天性の腸疾患があり、出生直後に手術を受け、6歳まで入院生活を送りました。腸が短くて栄養も水分も吸収できないので、点滴がなくては生命が維持できません。それでも3歳頃からは少しずつ食べ物を口にし、点滴の管理を親が覚えて外泊を繰り返し、小学校入学と同時に在宅療養として自宅で過ごす事ができるようになりました。入退院を繰り返しながらも、体調が良い時は病院の隣の小学校、入院した時は院内学級に通うというとても恵まれた環境で小学校生活を送っていました。日光への移動教室なども学校、病院の配慮で母親同伴のもと参加することができ、普段できないことをたくさん経験しました。そんな息子から亡くなったあともおくりものが届きます。それは人との不思議な出会いだったり、偶然なことだったりですが。息子は5年生の時に出会った院内学級の先生の影響を受けて、自分の気持ちを素直な詩にして表現するようになりました。その中に「ぼくは幸せ」という詩があり、家族の宝物です。これは院内学級の先生を紹介したドキュメント番組の中で紹介され多くの方に見てもらうことができました。またガラガラドンにたどりついたのも息子がプレゼントしてくれた不思議な縁からです。ガラガラドンでは同じような経験をしている方とも知り合い子どもの事を話す事で気持ちが癒されていくのを感じます。時は過ぎていくもので、先日4回目の命日を迎えました。息子が亡くなった時、6年生だった同級生も高校一年生。毎年命日の前に、同級生が誘い合って遊びに来てくれます。友達の心の中にも少しだけ息子がいると感じうれしい気持ちになります。同級生達は息子の話をするわけではないけど、楽しそうにおしゃべりをして帰っていきます。気付けば息子を通じて知り合ったたくさんの方が、家に遊びに来てくれるようになりました。息子の将来の夢は、「悩みのある人の話を聞いてあげられる心理士になりたい。悩みのある人が気軽に集まれる場所を作りたい。」でした。辛くて逃げ出したいと思うことのほうが多かったのに、どうしてこの子はこんな風に感じられたのだろうか?と不思議に思うことがあります。答えはわからないけれど今いえることは、生まれたときから多くの方にかわいがられ、たくさんの愛情をもらって育ったからかもしれません。息子の事を思い出して、自然に集まってくれる人達がいること。これも息子からのおくりものだと思っています。私がガラガラドンの活動に参加するようになって二年半が経ちます。これからは時間の経過とともに考え方も少しずつ変わっていくでしょうが、今は息子からのおくりものを大切にしながら、自分にできる形で活動を続けていくこと。それが私の幸せかなと思っています。