病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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4年間お世話になりました

2013年6月17日(月曜) 

この4月にご主人の転勤のため4年間在籍されたMさんが大阪に引っ越しされました。お手紙をいただいたので紹介します (通信51にも紹介) 坂上記

{%クローバーwebry%}5年前の2月に息子を亡くしました。9歳の誕生日の前日でした。医師から病名は膠芽腫という脳腫瘍であること、1年前後の余命であることが告げられました。息子を亡くしたことは辛いことですが、病気をきっかけにして彼は私にたくさんの事を気付かせてくれたように思います。息子が元気に過ごしていた頃の私は、子どもの遊びについて何も考えたことがありませんでした。遊びの時間から得られる大切な感性や、子どもが遊びの中で成長や発達があるなんて考えもしませんでした。それまでの私の子育ては、20歳になった時に世間でいう一人前の大人にするため、今、何をするのかばかりを考えていて目の前にいる息子を見ていませんでした。しかし、病気の影響で右半身麻痺の車いす生活になって24時間私の介助が必要になり、私は目の前の息子をいつもいつも見ている生活になりました。元気であれば学校や習い事や日々のことに追われているだろうと考えると、24時間ずっと一緒にいられたのはありがたい時間だったと思います。

息子が闘病した九州の病院では院内学級がありました。息子の遊び相手になってくれた医療スタッフの皆さんやイベントでは外の刺激を運んでくれるボランティアもいて、すべてが大切な存在でした。息子を見送った1年後、社会福祉を勉強しようと大学の通信学部へ入学しました。病気と闘う子どもと家族を支える側になりたいと思ったからです。時を同じくして坂上さんに出会いました。坂上さんの話は衝撃の連続でした。国立国際医療研究センターには院内学級がないこと、勉強は毎日ではなく訪問の先生が週に何度かやって来ること。付き添いがいない子どもも多いこと。一番の驚きは、ボランティアが病室の中に入ってきて子どもと遊んでいることでした。お見舞いの人以外の外部の人が病室の中に入ることは、息子がいた病棟ではその当時は(今も)ありえない事でした。遊びのボランティアはその活動を20年以上続けていると聞き、こんなありえないことをしている人がいたんだ!と興奮したのを覚えています。初めて病棟をまわった時、ベッド柵を握りしめて泣くあかちゃん、長期入院中の子どもでもいろいろな事情で週に1度か2度しか家族に会えない現実も知りました。

そういう子どもたちが、ボランティアと遊んでいるときにとびっきりの笑顔を見せてくれて、面会に来ている家族も自然と笑顔になる…子どもが楽しそうに笑う顔を見ると親も嬉しくて笑顔になるって、なんて心豊かな時間だろうと思いました。遊びのもつ大きな力を感じました。

ガラガラドンには、本当にいろんな経歴の持ち主が集まっています。現役の保育士や教師などの専門職もいれば、アロママッサージや造形作家、パソコンのインストラクターなど特技を生かす人、そして患者体験や私と同じように子どもを亡くした母親もいます。

私は母親の経験はあっても何の資格もありません。4年前、ボランティアを始めたいと思ったとき、「何の資格も取り柄もないんですが」と坂上さんへ相談をしました。坂上さんは「母親は何にも代えられないすばらしい資格だと思います」と言ってくださった時に、子どもを亡くした私がここにいてもいいんだと存在を認めてもらったように感じ、生きていく自信にもなりました。国立国際医療研究センターで出会った皆さん、坂上さんやボランティアの皆さん、ありがとうございました。