病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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1歳と8日間の息子の命に導かれて

「私と遊びのボランティア」 K・I 

2014年7月5日(土)初めてボランティアに参加しました。小児病棟のドアをくぐると、一気に緊張が走りました。ここは暖かいお日さまが当たる外の世界とは違う、別世界なのだ。かつて自分の息子もこのような環境にいて、気持ちがその時間へ引き戻されていくようでした。エプロンをつけ、先輩ボランティアの方について、おそるおそる、病室に入ると2歳になる長期入院の男の子がお父様と待っていてくれていました。先輩ボランティアが、子どものペースに合わせて一緒に遊び始めると、その時の子どもの笑った瞳の輝きは何物にも代えられません。この珠のような笑顔がもっともっと増えるといいなと思いました。この日は、2歳の女の子の部屋にも行きました。やはり先輩ボランティアの方が、女の子にアンパンマンやたくさんの歌を歌ってあげていました。時間になって帰る時、その子が泣き出しました。後で聞くと、ご両親はなかなか面会に来られないとのこと。あんな小さい子がひとりベッドにいるのかと思うと、いたたまれない気持ちになりました。

翌週の土曜日は2回目のボランティア。この日は坂上さんがついて下さいました。4歳の男の子です。2回目は私も少しリラックスして臨めました。お母様は、私たちが行くと、「明日、退院なのでこの書類を出しに行っていいですか?」と聞かれました。すると坂上さんが「それは坊やに聞いてください」と言われました。男の子は「大丈夫、4歳になったから」とお兄ちゃんの顔をのぞかせてくれました。その後、坂上さんがパズルや車を見せて遊ぶおもちゃを本人に選ばせ、早速、車のおもちゃトミカランド(箱形のパーツに道路を繋いでトミカを走らせる箱)で遊び始めました。ビックリしたのは男の子と坂上さんの会話でした。坂上さんが男の子に奇想天外な言葉をどんどん投げかけていくのです。「この車でどこに行きたい?」「海の底」「じゃあ、行くからね、しっかりつかまっててよ」、普通そんなことはありえないでしょう、というものですが男の子もそれにちゃんと答えて、二人の世界は後にも先にもその時だけの特別な世界として成立していました。私にはこんなボランティアはとても無理だと思いましたが、男の子がとても楽しそうだったので、接し方によって遊びはこんなに楽しく展開するのかと教えられました。この日はお母様から次のような感想を頂きました。「単調な入院生活、見える景色も行動範囲も限られている中、なんとも楽しい時間、子どもの心が解放される良い時間、大人でも耐えられないこの空間で、このような遊びや時間が心も健康にさせてくれると思います。1週間で退院できますがもっと苦しい病気にかかっている子どもにとってもとても大切な活動だと思います」。このような感想をいただき、嬉しかったです。

私自身のことになりますが、この5月に息子を亡くしました。1歳と8日間という短い生涯でした。妊娠がわかった時は、どれほどに嬉しかったことでしょう。そして生まれてくれた時は涙が止まりませんでした。「生まれてきくれて ありがとう」これしかありませんでした。

しかしすぐに異常が判明し、検査の結果、18トリソミー という先天性異常の病気であり、生まれてきた子の5割が2か月以内に亡くなり、1年間生きられる確率は1割で、10人の内9人は亡くなるといわれました。目の前に死という壁が立ちはだかるのがわかっていてこの子はなぜ生まれてきたのか。

それから私たち家族3人の病院生活が始まりました。私は毎日搾乳に追われながら、病院に、主人は会社帰りに病院に寄って家に帰る。本当だったら、家で過ごし、1か月経ったら、ベビーカーでお散歩に行ってるのになあとベビーカーで散歩をしている親子をうらめしい気持ちで見ていた時もありました。しかしある時からは、「そうだ、私は看病しているのではない、子育てしているのだ」、と自分で納得し、「堂々としよう」、そう胸を張って病院に通いました。

その後、息子は気管切開をし、人工呼吸器をつけました。NICU、GCU、小児科一般病棟を経て、今年4月には晴れて退院となりました。この日をどんなに待ち望んだことでしょうか。やっと自分の家に帰れるのです。初めて!家では在宅子ども専門の診療所、訪問看護、ヘルパーの方々にお世話になりながら過ごしました。しかし、肺炎をきっかけに、再入院し、体のあちこちがいうことをきかなくなってしまい、とうとう、そのまま病院で、神様のみもとに旅立ちました。1年と8日間、息子は本当によく頑張りました。息子がいなくなってからは、毎日、息子を思い、涙が溢れ、あの時ああすれば良かった、という後悔の念が起こり、どうしようもなく、気が狂いそうでした。気持ちのやり場がないのです。この子の人生は一体なんだったのか。そして私はこれからどうなるのか。

このままではいけない。家にいるとへばってしまいそうなのです。そうして、出会ったのが「遊びのボランティア」でした。代表の坂上さんのお話からこうした活動が20年以上、継続されていることにまず、驚きました。活動終了後にはひとりひとりの子どもが今日どうだったのかという報告会を丁寧にされ、子どもひとりひとりをとても大切にし、ボランティア同志のつながりも大切にしていることが感じられました。

私も小児科一般病棟に移ってから、24時間、付き添いました。このときは、お尻に根っこが生えたように、ずっと病室の椅子に座っていました。外に出れないのです。看護師さんがいるから、出ても大丈夫なのですが、子どもをひとりにしたくないから、病室にこもっていました。私の場合は、午前中、午後と病室を出るのはほんの数回でした。オムツをゴミ箱に捨てに行くのと、談話室にお湯をもらいに行くときくらいです。もし、私の入院していた病院にもこうした「遊びのボランティア」が来てくださっていたら、入院生活ももう少し違うものになっていたかもしれません。

先日、在宅の訪問看護師の方から、息子がこの病気のなかでもかなり重度だったこと、医療関係者からみれば、よく1年も頑張ったという話を伺いました。それを聞いて、短い生涯でしたが、百歳の天寿を全うされた方と同じように息子は天寿を全うしたのだと思いました。そして息子は、いのちは、神様に愛されたからうまれてきたのだと。生まれてきた命に無駄な人生はひとつもない。息子の死を通して、私にもいずれおとずれる死を考えさせられました。死を考えることは生きることを考えるし、生きることは死をぬきにしては考えることができないと思いました。天国に息子がいると思うと、死がぐっと近くなったように思います。息子が先に行って、「お母さん、こわくないよ」って、教えてくれたのかなと思いました。まだまだ気持ちが沈み、わからないことがたくさんありますが、息子の母親として恥じないよう、しっかり自分の人生の意味を捉えながら生きていきたいと思います。その一つが「遊びのボランティア」です。少しでも役に立てられるよう頑張ります。でも癒されているのは、おそらく、私の方かもしれません!未熟者ですが、これからもよろしくお願い致します。