病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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松下先生退官祝いに参加して

2015年3月21日(土曜)   松下竹次先生のご退官祝いに坂上が参加してまいりました。松下竹次先生は国立国際医療研究センター約30年も勤務された小児科のお医者さんです。この3月でご退職ということで、新宿のホテルで退官を祝う会が開催されました。会場にはたくさんの方がお見えでした。200人は超えていたと思います。歴代の小児科医師やナースや師長もお見えになり、それぞれのご挨拶は松下先生を惜しむ思いがあふれていました。会場には懐かしい方々もおみえです。そのお一人が井上師長です。 井上師長はガラガラドンを立ち上げ時の当時(1991年)の師長です。 「まあ、懐かしい!」お互い手を取り合って―。 「師長さんが、ボランティア続けて下さいねって私におっしゃったので、いつ辞めたらいいんだろうと思いながら、まだやってます」 「通信、読ませていただいたいてますよ、頑張って続けてくださって、それ、いつも感謝していたんですよ」 「師長さんが移動でいなくなってしまって、ボランティアのこと相談する人がいなくて困っていたんですよ。でも今日ここにきて、患者さん中心の松下先生がいらしたから、ガラガラドンって続いていたんだなあって、わかりました!」 「あの当時、ボランティア、なかったでしょう、ボランティアを小児科入れたいって、いったら病院から猛反対されたんですよ。何か請願されたり要求する団体になるかもしれないって。私は違うと思いますっていって、やってみないとわからないでしょうって、何とか、ボランティアが入れるように、書類を整えたんですよ、本当にガラガラドンは子どもたちのことを考えて、子どもたちのためによく働いてくださった、私も嬉しいわ、ありがとう、ありがとう」 井上師長さんの話を聞きながら、病院にボランティアをいれることがどんなに大変だったかよくわかりました。 今私は60歳です。当時は36歳でした。もう24年も前のことです。今でさえ、どこの病院でもボランティアが病室に入ったり、子どもや家族そばにいくのは簡単ではありません。当時はもっと大変だったでしょう。それを松下先生はじめ、小児病棟の医師やナースたちがガラガラドンを守り、育ててくださったことを確認した会でした。 松下先生の思い出、は、おもちゃ図書館の国際交流の会が日本で開催されたそのときのこと、ガラガラドンの活動を報告しますからと原稿を見せたところ、ちょっと貸してとおっしゃってちゃちゃっと英文にしてくださいました。びっくりしました お忙しい先生がそんなことをしてくださって。それと、ガラガラドンの活動を「社会福祉研究」に掲載するので見ていただいたところ、数字の分からないところは(小児病棟の看護師数など)師長に聞くようにとおっしゃって、師長に繋いでいただきました。国立の病院は、とても固いイメージがありましたが、小児科はいつもこんな感じで、明るくて、風通しがよく、自由な空気が感じられました。これが松下先生の存在感というのでしょう。ボランティアはいつも、松下先生にお会いするわけではありませんが、先生のまなざしは常に感じていました。長きにわたり、ボランティアのことも温かく見守ってくださってありがとうございました。 ガラガラドン代表 坂上和子  松下先生の似顔絵
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松下先生祝う会 新宿のホテルにて
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