病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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あかねちゃんの快気祝いに北海道へ 離れていても応援するよ

2015年10月10日~12日 訪問者 坂上和子 加藤郁子(パソコンインストラクター) {%飛行機webry%}三年前までガラガラドンのいる病院で闘病していたあかねちゃん(20歳)の快気祝いに北海道に加藤さんと行きました。 二泊の旅は車で移動、女満別空港でおりて、網走から美幌峠、屈斜路湖摩周湖、阿寒湖をまわり、富良野にもいきました。あかねちゃんちやママのお店にも行きました。 「北海道は広いよ、新宿みたいに人がいないよ、新宿は車と人だらけ、家も隙間がないね、」と言っていたとおり、広くて、人が少なくて、車すいすいでした。 あかねちゃんは入院当時17歳でした。きつい治療を受け、やっと退院できたのに、再発し、約9か月、北海道で治療をうけました。2度目は移植が必要で、その当時は体重が20キロへり、起き上がることも出来なかったほどです。けれどもこの夏に移植も生着し、退院できて、伊豆高原のホテルにも一緒にきました。http://asovo.at.webry.info/201508/article_1.html この間、体力もつき、見違えるほどふっくらして、髪も伸びておじょさんらしくなり、「仕事も短い時間、はじめようかな」と聞いたので、快気祝いに何がいいかな?と考えました。そうだ、一緒に旅をしようと思い、加藤さんに声をかけました。天気に恵まれ、紅葉もきれいでした。たくさんおしゃべりして、ジンギスカンやらカニなど食べながら、入院中にできなかったことを楽しみました。何よりあかねちゃんの笑顔が嬉しかったです。 高度医療の病院で私たちはいろいろな子どもたちと出会います。中にはあかねちゃんのように遠く北海道からやってきて、親子は孤独な環境に耐えて闘病しています。遊びのボランティアはそうした親子とのつながりが入院中だけでなく、退院してもつながっています。離れていても応援しているからね!コーディネーター坂上和子                             {%車webry%}私は、あかねちゃんがガラガラドンのいる国際医療研究センターで出会いました。治療中に時間があるから「MOSを取得したい」ということでパソコンボランティアを募集していたのをきっかけにガラガラドンの活動に携わることになりました。http://asovo.at.webry.info/201212/article_2.html はじめてあかねちゃんを訪問したときはマスクとガウンを着用しなくてはいけなくてちょっと緊張してしまいましたが笑顔で迎えてくれました。あかねちゃんは意思をきちんと言ってくれたので「素直でやる気のある子、教えやすくてよかった」と安心しました。お勉強ばかりだと飽きてしまうので、図形を組み合わせてお絵かきをしたらお世話になっている大好きな看護婦さんの似顔絵をたくさん描きはじめ、それがとてもかわいく上手に描けていました。シール用紙に印刷してプレゼントして、とても喜んでもらえたそうです(あれはもらったら絶対うれしいと思います)。あかねちゃんの体調に合わせての訪問だったので回数はあまり多くなかったですが、試験という目標の途中で楽しめる要素がもっとあってもいいのではないかと思うようになり、仕事(女子高の教員です)にも活かしています。あかねちゃんのおかげで、私の担当クラスのJKたちは授業で「ジャニーズの応援うちわを好きなもので」作って楽しんでいます♪(その前は希望者のみ休み時間とか放課後に教えてました)。その後、通信や坂上さんからあかねちゃんの様子を聞いてどうしているかなと思っていました。 秋にあかねちゃんに会いに行きませんかと坂上さんに誘っていただき3連休を利用して行ってきました。去年再発して、今度は新宿ではなく、地元で治療を受けていたと聞いていたので、どんな様子なのかと気になっていたのですが、女満別空港に迎えにきてくれたあかねちゃんは、思っていたよりずっと元気そうでちゃんとご飯もしっかり食べていて、ほっとしました。 網走→美幌峠→阿寒湖→帯広→富良野→帯広とあかねちゃんとあかねちゃん家族が車で案内してくれました。ちょうど紅葉がきれいな時期で、北海道らしい景色はもちろん見たことのない道路標識もあり、車で走っているだけで楽しかったです。現地ならではのおいしいお料理(いくら、カニ、ジンギスカン)やお菓子もたくさん食べて、楽しいおいしい2泊3日を過ごすことができました。何より元気なあかねちゃんの笑顔に出会えてうれしかったです。 ^^加藤郁子 あかね{%メールdocomo%} 北海道にまたきてね~ 雄大な北海道をスイスイ走って食べて笑いました
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