病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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20周年記念フォーラム ボランティアの声2

《病気になっても社会とつながっていたい子どもの思い》

みなさん こんにちは ガラガラドンのKと申します。仕事はパソコン関係の仕事をしています。休日などを利用してボランティアに参加しています。ボランティアを始めたきっかけは人と関ることに興味をもったからです。活動歴は丸5年になります。単純に計算しても、月1回ボランティアに行ったとして一年で12人、5年で60人の子どもと遊んだことになります。寝たきりの子ども、しゃべれない、手足も動かせないといった重い障害を持った子どもたにも出会いました。そんな中で今日は高校生の男の子との出会いを紹介します。

その男の子、K君は高校1年の冬から2年7ヶ月入院していました。初めの2年間はガラガラドンの土曜の活動の中で、トランプやオセロや将棋をやったりしていました。お互いサッカーの同じチームが好きだったりして、自然とK君と遊ぶのは私という関係が生まれてきました。そんな中で特に印象に残っているのが、K君が骨髄移植後にやった将棋です。移植中はボランティアも入ることが出来なかったので、その日は約5ヶ月ぶりにクリーンルームに入って遊びました。しゃべるのもゆっくりで、手や足もやせ細っていて、顔も印象が変わっていました。手も動かしづらそうで、将棋の駒を持つのも一苦労という感じです。プルプルと手を震わせながら時間をかけて一手一手打っていました。手が震えるので駒を置く時、他の駒に手がぶつかってしまう、すると動いた駒も手を震わせながら直していたので、僕は思わず「そんなに綺麗に並べなくてもわかるよ」と言いました。そんなわけで、将棋をやるという行為自体がとても大変そうだったので、一回終わったら遊びを中断して休んでもらった方がいいのかなと思いました。しかし、K君は時計を見てまだ残り時間があることを確認すると、「もう1回やろう」と言いました。結局90分、まるまる将棋をやることが出来ました。移植後の体調が良くない中でもそんなふうに将棋をやりたがるK君を見て、闘病中でも遊びは必要なのだと感じました。

その後、僕が個人的な理由で海外に行くことになった時期があります。入院中のK君に行くことを言おうかどうか迷っていました。自分だけわがままなことをしているのかなと、思ったりしました。しかし話してみると、「どこに行くの?」「いつから行くの?」「いつ帰って来るの?」「泊まる宿はどうするの?なかったらどうするの?」「会社はキツかった?」などとたくさん質問を受けました。無口なK君からこんなに質問をされたのは始めてのことだったのでとてもビックリしました。その時メールアドレスを交換し、海外に行っている時もメールやブログを通じて連絡を取り合うことができました。

帰国後は土曜の活動ではなく、平日の夜にK君のところへ訪問し始めました。そのころになると週末は外泊をすることも増えてきたのと、毎日K君のお母さんが仕事帰りに病院に来ていましたが、僕一人だけだと負担が大きいのでペアが欲しいとコーディネーターの坂上さんに言った所、チームとして3人で訪問する体制を整えてくれました。トランプは大貧民やポーカーが盛り上がり、人生ゲームをやったり、4、5人で遊ぶ平日の夜のボランティアはとても盛り上がりました。退院後K君から、「遊んでいるときは、少しだけ病気になっても良かったと思える時間でした」との言葉を聞けたときは、うれしかったです。

今でこそK君は高校に通い、アルバイトもしています。しかしこれまでの道は平たんではなかったと思います。2年7カ月の入院生活、電気もつけずに真っ暗な中、布団をかぶって一言もしゃべらない日があったとK君のお母さんから聞いたこともありました。18歳、19歳の思春期の男の子が骨髄移植のあとはベッドの横にポータブルトイレが置かれてあり、歩くのも困難になってしまい、車いすの生活。リハビリを行い、手押し車での歩行の訓練をしたり、食欲もわかない中で、ロールパンひとつ食べるのもやっとという感じでした。退院3カ月くらいしてK君の家を訪問したときもまだ杖をついていました。そのようにしてK君は一歩一歩回復していきました。こんな状況を長い間みてきたからこそ、病気の子どもを招待してくれた、さきほどから何回も出て来た伊豆高原の招待はホテルでK君20歳の誕生日と偶然にも重なってお祝いをしていただいたんですが、嬉しかったです。そしてその後にもボランティアとごはんを食べようといって、食事を一緒にしたりしながら感慨深いものがありました。一方でK君のお母さんは仕事帰り、毎日病院に来ていました。そういうお母さんを支援しようとNPOではお弁当ボランティアを始めました。それから週末に外泊が出来るようになったとき、タクシーを利用していました。そのときは送迎ボランティアということで車の運転をしてくれるボランティアが現れました。またカメラに興味を持っていたのでカメラの会社にNPOが事情を話すと、一眼レフのりっぱなカメラが届いたりもありました。個室から一歩も出られなかった日々にカメラは外に目を向けるよいきっかけになっていたと思いました。K君との出会いを通して病気になっても社会とつながっていたいということを学びました。そして何よりもあのような苦しい闘病から元気になったということを嬉しく思います。この活動を通してK君に出会えたことを感謝しています。