病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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坂上和子さん 還暦祝い

坂上和子(60歳) プロフィール 保育士・社会福祉士 認定NPO法人病気の子ども支援ネット遊びのボランティア理事長。 1954年7月12日 大分県別府市生まれ。10歳から19歳まで扶助者聖母会の児童養護施設カトリックにシスターに育てられる。1977年上智専門学校卒業。同年~2003年まで新宿区立保育園、障害児通所訓練施設、子ども家庭支援センターに勤務。2005年明治学院大学社会学社会福祉学科卒業。 1991年に国立国際医療研究センターに遊びのボランティアを立ち上げ、2006年にNPO法人となる。現在、武蔵野大学大学院人間社会研究科実践福祉学専攻修士課程2年。
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日時 2014年7月12日 会場 新宿区四谷「ラインガウ」 参加 ガラガラドン12人  逐語録作成 能澤 (カッコの発言は坂上さん) 村上:大阪在住 こどもホスピスプロジェクト職員 坂上さんおめでとうございます。 (ありがとうございます。はるばる遠くから)あのー、何年前ですか?坂上さんと、5年前でしょうか?本当に楽しいその後を過ごさせてもらっています。現在もこれからも。これからもぜひいろいろ応援してください。よろしくお願いします。おめでとうございます。(村上ちゃんも応援してあげないといけないね)よろしくお願いします。 能澤:お茶の水女子大学大学院生 おめでとうございます。(ありがとうございます。)この前まで全然60歳になられるだなんで知らなくてすごい(70かなって思った?)いや、そっちじゃなくって。逆、逆,そうそう。いやもうだから、そんなお年いかれてただなんて、なんて言えばいいかわからない。驚きました。えっと、修論一緒にがんばって書きましょう。(がんばりましょう。)おめでとうございます。(ありがとうございます。) 阿部:保育士挑戦中 坂上さん、お誕生日おめでとうございます。(ありがとうございます。)ステキな60歳で、いやー、でも歳を重ねるごとにオーラが増して輝きが増してエネルギーが増すってすごいと思って、たぶん、これからどれだけ増していくんでしょうって。ステキな代表の元でボランティアできること、ほんとに光栄に思っています。わたしたちをつなげてくださってほんとにありがとうございますー。これからも、こんな不束者でございますがこれからもよろしくお願いします。おめでとうございます。 山中:保育士挑戦中 おめでとうございます。坂上さんよりマイナス10歳です。通称キコと言います。あの、夫が転勤族で全国いろいろ回っていましたが、今年の秋に目白にやっとマイホームを建てまして、事務所から近いのでもうちょっとお役に立てればと思っております。(さっき大和田とか言ってなかった?)今はそうなんですけど、秋に学習院の裏に家を。(かっこいいー)で、あの、保育士試験がんばります。(がんばってください。でもどうする?3人のうち1人しかうからなかったら)大丈夫。みんな受かりますので。 佐藤:アロマセラピスト 坂上さんお誕生日おめでとうございます。(ありがとうございます。)まさしくボランティア活動のある今日がお誕生日だなんて、やっぱり坂上さんすごいんだと思います。あたしも坂上さんみたいに元気な60歳目指して精進しようと思っています。(じゃあ大学院にも来てね。)ステキな1年にしてください。おめでとうございます。 岡部:NPO会計係り 誕生日おめでとうございます。60歳って聞いたとき正直びっくりして50代かなって思ってて、坂上さんとはいろいろお話させていただいてて、活動もたぶん6、7年、あんまもう記憶にないんですけど。記憶にないくらいで。でも坂上さんを見て、すごい刺激的で自分もまだまだ新しいことチャレンジしてもいいんだなっていうのをいろいろ感じさせていただけるので(してください)、自分もがんばらなきゃなっていつも思わせてくれて(がんばってます)がんばってついていこうと思いますこれからもよろしくお願いします。(ありがとうございます。) 田生:塾講師 坂上さんお誕生日おめでとうございます。まあちょっと連絡係とかやらせていただいて、この前もわたしのリーダーの週に坂上さん、いらっしゃらないことがあったんですけど、やっぱりその、みんなを連れてお部屋に入って行って、なんかすごいシーンと始まって。いつもだったら坂上さんが連絡事項、こうでこうでこうで、みんなを盛り上げるような話をして、それでじゃあ行ってこいって始まるんですけど、やっぱりちょっとそこら辺がほんとに。そういう毎回坂上さんが作ってくださってる空気ってすごい大きいんだなって思って、あ、だからこそみんなこうやって、環境とか年齢とかみんなバラバラなんですけども、こうやって活動の日が続いていくんだなってのもすごく思いまして。やっぱりそこに追い付くにはまだまだ全然足りないところばっかりだと思うんですけど、あの、引き続きみなさんの助けを借りながらがんばりたいなと思いますのでよろしくお願いいたします。(ありがとうございます。) 山本:小中学校副校長 坂上さん、おめでとうございます。(ありがとうございます。)60ということでいよいよ折り返し地点に、やっと折り返し地点に。坂上さんにとって今は半ばね、やっと折り返しであと60年。坂上さんすごいなって思うのは、私はもちろんこのバイタリティとかエネルギーとかすごなって思うんですけど、日々見ながら自分も立場が立場なのでマネジメントをね、今、坂上さんのマネジメントってのもすごい勉強になるなあって思うのと、いつも思うんですけど、なんかテレビとか取材とか来るのに、あのー、そこでこの構えないっていうか、(もうね、髪ぐらいとかしなさいって、パッパラパーでさ)でもなんかそこで例えばいいとこ見せようとしないっていうか、活動は活動でしょ?子どもありきでしょ?って。取材が来てるから、ちょっとパフォーマンスをしたりとかそういうことなくて「あ、取材来たの?いいわよ。適当にやって。聞きたかったらなんでも聞いて」みたいな感じで。「あたし~いってくるから」みたいな感じのところが、そこがすごいなって。やっぱり子どもありきだっていうところ。そこの、なんて言うのかな。こう大事なところがぶれないっていうのが一番すごいなって、日々勉強させてもらってます。はい。あと60年。(いやいや、あんまりね、きれいにね飾ったら、病院で子どもが輝いた日なんか、そうだったんだよね。後から見たら全然違う人じゃんって言われるから、できるだけその時は老けて見えるように汚く見えるように、そして現実に会ったら「あ、写真よりましだ」ってそっちがいいということがわかっただけ。全然そんな崇高なもんじゃないです。)あの、髪の毛は自分で切らないようにしてください。(今1000円カット見つけたから。三鷹にね。) 古賀:保育士 おめでとうございます。先輩はこの2人くらいだけですよね。あのー、やっぱり60というのは節目だと思うんですけど、あの、まだまだ、その坂上さん見てると、そのエネルギーのすばらしさっていうか、いやー、なんか、あのエネルギーの後について行きたいというかね、私は、朝日新聞の、あの、この活動の20周年の新聞を見て、あの、そこから繋がっていかれたんですけど、やっぱり、自分の経験から絶対病院の子どもに遊びをこう、一緒に遊ぶってことは絶対必要と思ってたのが、こう坂上さんに出会えてほんとに幸せだったなって思ってます。で、これからも、まあ微力ながら応援して、私のできることで支えになることがあれば、あの、お力になれればと思ってますのでよろしくお願いします。(えー、りくくんね、ママがね、自閉じゃないかって散々、悩んで見えたときにこないだ大笑いして、古賀さんと遊んで。で、それをビデオに撮っててね、3分くらいのビデオがあんだよね。みんなに見せんの。これが自閉なのって、お母さんにとってはそういうところあるけど、あの、古賀さんの手にかかったら、遊んでいるうち魔法がとけてゲラゲラゲラゲラ楽しそうに笑ってね。)笑ってくれましたねー。ほんとに。やったーですよ。(この子ちょっと自閉かなーってお母さんが心配そうにいうと、はいはいはいみたいな感じ、こっちのペースにパンって乗せて、もう自閉の魔法が解けちゃって、普通の子になって、りくくん、かわいいんだよね。古賀さんの力、見せてもらったんだよね。)いやいやいや、そんなことないんだけど、たまたまうまくいったって言うか。わたしも幸せな毎日を送らせていただいてます。 萬谷:理事 元新聞記者 どうもおめでとうございます。(ありがとうございます)ほんとにあのー,ぼくが会ったのはまだ30代?今思えば(そうそう萬谷さん60代だったもんね)若かったなあと気はしますけれども,でもほんとにNPO,これまでいつ潰れるか,まあ3年ももたないんじゃないかと言われながらもやってきたっていうのはやっぱり坂上さんのすごいパワーだと(いやいや仏様神様とキリスト様)ぼくはやっぱりガラガラドンを見ていますと,ほんとにみなさんのこう,いろんな方がね,集まってこられて、やはりあのー,地球上で50億とかなんとかっていう人がいて,でー,しかも一人の人生が,まあ100年も満たないような中でね,こういう出会いがあるということはすごいことだなあと思って,選べる訳じゃないんでね,出会いってのはやっぱり自分から選んでできることじゃなくって,やっぱりえー,なんと言うか,人間のはるか大きな力で,こうめぐり合わされてるっていうか,そういう感じが。やはりこのガラガラドンの20何年間見てますと,いろんな方がいて,なぜこの人がここに来られたのかなあという気も随分しますし,それはやはりあのー,すごいことだなと思っております。坂上さんにすれば,今あることをほとんど,まあ,目指してきたことでもないかと思うんですよね。彼女にしてみれば毎日毎日その目の前にある子どものことだけを考えて歩んできたんではないかなあという風な気がします。で,まあ雨の日も風の日もですね,暑い日もやっぱりたゆまずこう通い続けたっていうそのことがやっぱりちょっと,えー,僕にはできないことだなあと,そういうことですごく尊敬しております。まああの,今また大学院行って勉強するという,まあとてつもない無謀なことに挑戦してるわけ,まあ,ぜひその挑戦がですね,えー,やはり,彼女としてはやっぱり進まないわけにはいかないんだろうと思うんですよ。それでやってきた60年であったのかなあと思います。今日ほんとにみなさんに集まっていただいてほんのうちわですけれども,こういう、うちとけた,いい会が持てたということ嬉しく思っております。ありがとうございました。 坂上: えーと,今日2回目になる今泉さんって方が、お子さんを亡くされて、この5月に亡くされて,7月の5日と12日ですが、そういう人たちがまたガラガラドンに来て,また励ましあうような会になってきたっていうのは,なんか,こう一気になったんじゃなくって,あたし,今、仏教の武蔵野大学にいってるんだけど,その,えー,なんか輪廻というか縁みたいなものがあるんだなあって。じゃ,あたしの大事な縁は何かって言ったら,もう、ろくでもない家庭で育って,親代わりにこう,非常に親身になって子どもを育てて,健全な精神を自立できるようにっていうシスターたちがいらして,そのバックボーンがあるかなって。自分が子どもを生んでちゃーんと育てるのって大変なことなのに,結婚もしないで海外からやってきて戦災孤児をあのー,健全に,こうなんていうかな,あの,ぐれた子どもたちを、いい魂の持ち主にしようっていうような教育。そういう修道女たちがいたバックグラウンドがあって,だからあたしは山にも登った,音楽もやった,スポーツもやった,ものすごく、文化的に豊かな中に入れられて。だけど,貧しい家なんていうのはそういうのが一切ないからさ。酒びたりの夫がいて,いつも殴られる母がいて,いつも傷つけられている兄弟が縮こまってるっていう,それがあたしの中にはもうさ,児童養護施設っていうのは,外から見るのとは全く違う,宗教的な世界がバックボーンにあったわけよね。で,ここで育ったら、そうなっちゃうんだよね。やっぱり。あのー,その世界を受け継いでしか生きられないんだね。あのシスターたちは子どもに何やったかって言ったら,愛を伝え合うってことなんだ。で,あたしがやってんのはきっと,その理屈じゃなくて,ここに困ってるりくちゃんがいたら,このりくちゃんになんかしようってことが,一つ一つ積み重なってガラガラドンになるんだけど,今日は、えー,いっちゃんのママが来てくれた,今泉さんが来てくれた,宮崎さん来てくれた,村上さん来てくれたっていうところで,そこはそこで、子どもを亡くした親たちが、また病気の親子を支えようにするっていうのが,こう自然と,できてきてる,それがおそらくガラガラドンなんだけど,そういう支えあいって絶対できると思うんだ。自分たちにとってもそこが生きる非常にこう,力になるんだけど,親にとってもありがたい,看護師たちにとっても余裕が持ててありがたいっていうさ,そして社会にとってもいいっていうような。だからおもちゃ代だっておもちゃの助成金からもらってんだからさ。企業にも入ってもらう。そういう社会を築いていく、ひとつのモデルなんだ。で,今、あたし子ども病院の調査をしているんだけど,どこの病院もやっぱりね,ボランティア全然足りないのね。萬谷さん言ってるんだけど,ここがトップだから,他にはないよって。そうなのよ。ガラガラドンはね,そのモデルになっていて,で、これ、二度と現れないんじゃなくて,この遊びのボランティアってものをどこの病院にも実現できたら、みんながいいかなーっていうのが,ガラガラドンなのかなって。それを今日60歳のこの日にちょっと確認させてもらいました。どうもありがとうございます。