病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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「生と死を考える会」講演

2018年6月30日 千葉県東葛地区「生と死を考える会」でお話しさせていただきました。
活動の歩み27年の中でお見送りしたお子さんとボランティアの触れ合いをお話ししました。その中でガラガラドンのK・Iさんにもご一緒していただきました。K・Iさんに会場から拍手が送られました。みなさんにも聞いていただきたくご紹介します。

 

「息子が与えてくれた遊びのボランティア」

                     ガラガラドンK・I
私は、今NPO病気の子ども支援ネットで遊びのボランティアをさせていただいております。
なぜ、遊びのボランティアに参加させていただくようになったのか。それには、息子がとりもつご縁によります。
今から4年ほど前の2014年7月から、遊びのボランティアに参加させて頂きました。
その1か月ほどまえの5月に、私は息子を神さまのみもとへ送りました。1歳と8日間の生涯でした。
息子は初めての子であり、妊娠が分かった時は、本当に嬉しかったです。
不安と期待が入り混じりながらも、生まれてきてくれるその日まで、主人と楽しみにしていました。
しかし、生まれて間もなく、心臓に異常がある、と言われ、新生児集中治療室がある高度医療の専門病院にすぐに搬送されました。そして先生から告げられたのは、18トリソミーという染色体異常の病気だと言われました。しかも、この病気は1年生きられる確率が10%だというのです。治療方法はなく10人中9人は亡くなるという、恐ろしい事実を突きつけられました。私は先生の言葉を聞きながら、頭は宇宙空間の中をぐるぐる回っているような錯覚に陥りました。この、先生の言葉はなんなんだろう。脳みそが膨らんでいく感じがしました。この子が1年生きられない。一体これはどういうことなのか。先生の言葉に現実を感じることができませんでした。
家に帰って、主人とふたり、声をあげて、腹の底から泣きました。
それから、入院生活が始まりました。毎日病院に通い、息子のベッドに張り付いていました。搾乳を1日7回しながら、絵本を読んであげたり、歌ったり、手や足を動かしたり。夕方を過ぎると、主人が会社帰りに病院に立ち寄って息子の顔を見て、それから一緒に家に帰ります。そんな毎日を繰り返している中で、本当だったら、家族3人で家で過ごし、ベビーカーに乗ってお散歩に行っているのになあと、ベビーカーで散歩している親子を見るとうらめしく思いました。普通でいいのに、どうして普通じゃないんだろう。そんな思いがいつもありました。また、そう思っている自分も嫌でした。
しかしある時から、「そうだ、私は看病しているのではない。子育てをしているのだ。場所が病院、というだけだ。堂々としよう!」と思えるようになりました。
病気とわかっていても、今、目の前に息子が生きていてくれる。これが、どんなに幸せなことか。
息子はNICUからGCU、そして小児病棟に移り、生まれてから10か月目にして、初めて自分の家へ
帰ることができました。
家では、在宅こども専門の診療所、訪問看護、ヘルパーの方々に助けられながら、過ごしました。
しかし、肺炎をきっかけに、再入院し、状態がどんどん悪くなりました。
そして、とうとう、最後の時がきたのです。私と主人は、ひたすらに息子を抱きしめながら、「生まれてきてくれて、ありがとう!」と病室いっぱいに叫び続けていました。そして先生に「今、心臓が動いているのは呼吸器によるものです。呼吸器を止めていいですか」と言われました。私たちは、「はい」とうなずきました。息子はとうとう、神さまのみもとへ行きました。
私は信じられませんでした。同じ部屋の中に、生と死があったのです。呼吸器を止めた瞬間から、生から突然、死に変わったのです。そしてこれ以降、どんなに叫んでも、祈っても、息子が戻ってくることはない。鉄の壁がガシャンと下りたような、有無を言わさないものでした。死は圧倒的で、逆らえない。
そこには、努力とかそのようなものは一切通じない。完璧に私の敗れでした。
死には勝てない。
これが絶望というものなのか。これが死というものなのか。
息子は、1年と8日間、本当によく頑張りました。
息子がいなくなってからの私は、寝ているとき以外は息子のことしか考えられず、涙があふれて、あの時、ああすれば良かった、と後悔ばかりし、あまりの悲しみと痛みに気が狂いそうでした。
息子がいない今、もう、私、死んでもいいんじゃないか、と恐ろしい気持ちがよぎったこともありました。すべてが投げやりになりそうでした。
そのような中でも、毎日考えていました。長く生きられないとわかっていて、生まれてきた息子の人生には意味があったのだろうか。なぜ、長く生きられないとわかっていて生まれてきたのだろうか。
息子の1年という短い人生が無意味だったと思いたくない、息子の人生には意味があったのだとどうしても思いたい。
私はクリスチャンです。毎日毎日、聖書や本を気の済むまで、吸い込まれるように読み続けました。
そして、ある時、神さまは、ひとりひとりを愛されてお造りになられたんだ、ということを知りました。わからないことはまだありますが、短いとか長いとかが問題ではなく、神さまが愛して息子の命を造られた。だから、ひとりひとりの命は神さまから愛されたものだから、意味がある。そうなんだと、思いました。
私は、こんな私でも何か出来ることはないか、とインターネットで探し始めていました。
そこで出会ったのが「遊びのボランティア」だったのです。
病気の子どもと遊ぶ、今だったら、少しは出来るかもしれない、何か役に立つことが出来るかもしれないと思い、すぐに坂上さんに電話をしました。
ボランティアに関わって、この活動がもう20年以上継続されているということに驚きました。さらに活動のきめ細やかさにびっくりしました。1回の活動ごとに、遊んだ子どもとの記録を一人一人取るのです。何をして遊んだか。子どもの遊ぶ前と遊んだ後の変化。活動中にひやりとしたことはなかったか。親の付き添いの声なども。さらに記録も丁寧で、ボランティア用、病院用があり、ボランティアが入ったとき、家族がいなかった場合は家族のために、ボランティアが何をして遊び、どんな様子だったのかメモを残しています。
また、活動後には記録を書くだけでなく、ボランティア同士遊んだ子どもの様子などを報告し合います。「今日はあまり上手く遊べなかったなあ」と落ち込んだり、不安になったりすることもありますが、他のボランティアの話を聞き参考にして、よし!次がんばろうという意欲にもつながっていきます。
またうまくいかなかったときは坂上さんが、「大丈夫よ~!」と励ましてくださるので、安心してボランティアに参加させて頂くことができます。
私も、息子が小児科一般病棟に移ってからは24時間、夜も付き添っていました。この時は、お尻に根っこが生えたように、ずっと病室の椅子に座っていました。外に出れないのです。看護師さんがいるから外出しても大丈夫なのですが、子どもを1人にしたくなかったから、ずっと病室にこもっていました。私の場合は、午前中、午後と、病室を出るのはほんの数回でした。オムツをゴミ箱に捨てに行くのと、談話室にお湯をもらいに行くときっくらいです。もしこの時、「遊びのボランティア」が来てくださっていたら、入院生活ももう少し違うものになっていたかもしれません。
ボランティアを始めて4年経ちましたが、最初から関わっている女の子がいます。
Aちゃんといいます。Aちゃんは、今6歳です。Aちゃんは出産時のトラブルで障害をかかえ、
ずっと病院で暮らしています。自分で体を動かす事が出来ず、話すことが出来ず、意思の疎通も難しい状態です。そういうお子さんにも、絵本を読んだり、歌を歌ったり、楽器を演奏したりして子どものそばにいます。
Aちゃんと何回か遊んだときでした。絵本を一緒に読んでいた時、あれ?絵を目で追って見てる!?と感じられる時がありました。また先輩ボランティアの方が、「今日、本当に久しぶりにAちゃんと遊んだけど、私とだとなんだか緊張してたみたい。今泉さんの時の方がリラックスしてる」
と話してくださいました。
坂上さんが、子どもや親御さんとの関りを丁寧にされているので、いつしか、信頼関係が生まれてきます。今年の春Aちゃんのお母様から「ボランティアの人たちと一緒にAの誕生日を祝いたい」とお話があったそうです。それで坂上さんがボランティアに呼びかけて、皆でカードを書いたりケーキを買ってお祝いしたりみんなで写真を撮ったりと、その日は病室が一気にAちゃんのお祝いモードになりました!
坂上さんは、ひとりひとりの子どもたちがどうしたら病気でも少しでも楽しく入院生活を送れるか、またご家族の不安や痛みを少しでも和らげることができるか、ということに真剣に向き合われています。
病院にはさまざまな状況の子どもたちがいますが、遊べないと決めつけずに、出来るだけ子どもが遊べる状況を作ろうと努力されています。呼吸器をつけている子どもやクリーンルームにいる子どもとも遊びます。看護師さんも重い子どもを優先して遊んで欲しいと声をかけてくれます。
このようなことが出来るのは病院との信頼関係を坂上さんが何年もかかって、築いてきたからこそ、
できることなのです。遊びを通して子どもの輝く笑顔をみたい、遊んで元気を取り戻してほしい、その気持ちが、遊びのボランティアの設立当初から一貫して変わらない坂上さんの信念のように感じています。
この遊びのボランティアをしていて、私にとって、とても支えられたことがあります。それは命日訪問です。ボランティアの方々の中には子どもを亡くされた母親がボランティアが複数います。その方々を中心に、お互い、我が子の命日に訪問し合うのです。
私の時も、誰も息子にあったこともないのに、家まで来て、子どもの写真を一緒に見たり、子どもの話を聞いてくださったりして、本当にありがたかったです。
もうこの世にはいない私の息子のことを、この仲間には思い切って話していいんだ、という安心感がありました。わかってもらえる、うなずいてくれる、一緒に涙を流してくれる人がいる。本当に救われました。
遊びのボランティアを通して、私も子どもたちと一緒に成長していきたいと思います。ご清聴ありがとうございました。