病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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ガラガラドン 30人の声 2013年度の感想

2013年度のガラガラドンの声

以下ガラガラドンのメンバーの感想紹介

坂上和子 保育士・社会福祉士

ガラガラドンは1991年にスタートし、この6月で満23歳になります。2006年にNPO法人となり、2013年は認定NPO法人になりました。高度専門医療を担う小児科の動きを23年、市民として見てきました。入った当時は病院と地域の差にびっくりしました。保育園や障害児施設の子どもには豊かな遊びの環境があるのに、病院だけ取り残されていることに。子どもにとって遊びがないことは空気がない、水が無いに等しいこと。たとえ病室でも「ここに来て、遊んで欲しい」が子どもたちの声でした。20年前は小児がんの子どものお葬式に呼ばれることもたびたびありましたが治癒率は向上して、元気に退院していく子どもを見るたびに、病院のスタッフの皆様に手を合わせています。

病院はいつも修羅場。具合が悪く、感染症にかかりやすかったり、人口呼吸器をつけていたり、抗がん剤の治療を受けている子もいて、必死の親たちがいます。ボランティアは、i医療スタッフと連携しながら、事故を起こさず感染や健康管理に気をつけ、責任と自覚をもって、これからも安全で楽しい遊びを届けたいと思います。   

  

桑田   保育士   (2004~2008)(2012より)

私にとってボランティアは、単に人助けをするというだけでなく、学びの場であり、ボランティアの皆様、また入院しているこどもたちからも刺激を受け、向上心を高めさせていただいている場でもあります。その中で、保育士として普段の現場経験を活かして子どもと接し、子どもが心を開いてくれ遊びを楽しんでくれることに非常にやりがいを感じています。

 また、付き添いのご家族の方と一緒に会話をしながら楽しく遊べた時は自分の成長を感じました。

また、ボランティアのコーディネートにも興味があるので、それに参加させていただいた時は非常に勉強になると思っています。今年度は一歳児クラスの担任になったので、乳児の保育に関してよりスキルアップし、遊びのボランティアの時間をもっと楽しんでもらえるように頑張ります。また初めてボランティアに入る保護者の方にも、ボランティアのことを理解していただき、信用して預けていただけるよう努めていきたいと思います。

篠田   幼稚園教諭    活動開始年月(2007~2009  2010年5月より)

ガラガラドンを学生時代から始めてから四年目になる。途中、仕事について一年は休ませて頂いていたが。稚園教諭になってからはボランティアへの対応も変わったように思う。子どもへの声掛けや対応も臨機応変に工夫できるようになった上、その子に今何が大切なのか、必要なのか、少しずつ分かってきた。また子どもから、また来て遊んでねと言われたときの瞬間、表情が暗かった子どもがこちらの働きかけで笑顔になり会話が増える様子をみた時は自分も成長したなと感じられた。

これからも子どもやお母さんの近くにいるボランティアであれるようにいたいと思う。

古畑   学生   活動開始年(2013年11月より)

半年間の活動を通してボランティア側が受ける恩恵というものを強く感じました。おもちゃを持ってベッドサイドへ着いたとき、子どものわくわくした表情や、最初はあまり乗り気でなかった子が徐々に心を開いて笑顔がこぼれていく様子、退院が間近に迫った子が嬉しそうに学校の話をする様子、ベッドの上でDSばかりしていた男の子が、郁子さんが持って来て下さった木のブロックで一生懸命クリスマスツリーを組み立てて、シールを選んで飾りつけをして、完成した作品を自慢気に見せてくれた様子、「ボラさ~ん」と笑顔で呼んでくる様子などなど、毎回子ども達が見せてくれる表情や言葉に私が元気をもらっていました。子ども達と遊んだあとは、他のボランティアの皆さんもとても活き活きとした表情をなさっている気がして、活動の振り返りを聞いていると、1時間半~2時間の間に一人一人の子ども達やご家族との間に本当に色々なストーリーがあるのだなあと感じています。

私は今まで幼稚園でのボランティアなどを通して、子ども達が遊ぶ姿を当たり前のものとして捉えていました。しかし病院という空間では遊びたくても遊べない、遊ぶ相手もいない、遊ぶモノもない、けれども入院児とその家族にとって病院は病気を治すところであり、「生活の場」でもあるということをガラガラドンの活動を通して実感しています。

榊原   会社員   活動開始年月(2013年4月より)

もともと自分も小さい頃は入院することが多かったのと、現在、遺伝カウンセラーを目指しているので、医療の現場を知りたいという思いで始めました。日常生活で子どもと関わる機会も少なく、ましてや入院中の子供と遊ぶのに最初は不安でしたが、坂上さんをはじめ、先輩方に、子供への接し方はもちろんのこと、おもちゃの選び方から、子守唄などのおもちゃを使わない遊び方、親御さんや病院スタッフへの接し方と、多くのことを教えていただきました。毎回の活動の報告の中で、自分もまねしたいなと思う所があり、皆で活動の後に振り返りの時間を設けて情報をシェアするのは非常に重要だと思います。中でも、大きく気がつかされたのは、子供は大人をよく見ているということです。こちらが不安などのマイナス感情を持っていると、すぐに見抜き、遊んでいてもどことなくぎこちなくなると感じました。子供だから、病気だから、という目で見るのではなく、まっさらな気持ちで子どもと接することは、難しいけど重要であると思っています。

静野  保育士  活動開始年月(2004年6月より)

先日のボランティアのときに、私がが担当していたのは大部屋の男の子でした。その隣には女の子が、ママと一緒にいました。ところがママが途中で帰ることになって、そのあと、ずっと泣き続けていました。この女の子にも遊びが必要だと思い、その時、遊んでいた男の子に「あの子にこのおもちゃ貸してあげていい?」と確認をとって、使っていなかったおもちゃを貸してあげました。すると女の子は、泣き止んで安定して遊び出しました。もう一人ボランティアがいればいいのですが、ボランティアの配置はすでに決まっています。私は大部屋で男の子と女の子、両方のベッドを行き来しながら、結果二人とも楽しく遊び、終えることができました。ガラガラドンでは、子ども一人一人と向き合ってじっくり遊びますが、このような状況にあったとき、全体を見渡せる保育の力も必要になってきます。改めて自分が初めてこのボランティアに参加した学生時代を思い出すと、月日の流れと自己の成長を感じた一コマでした。

岡部 主婦    活動開始年月(2006年11月より)

ボランティアを通してさまざまな出会いに感謝しています。病気の子供たちとの出会い、そのまわりにおられる回復を願う家族との出会い、また 共に活動するボランティア仲間との出会い、このような多様な出会いは、私に 驚きと人としての成長をもたらしてくれます。

小川奈津美   特別支援学校教諭   活動開始年月(2006年3月より)

昨年は、泣いているなど、遊びに誘うことが難しい子どもを遊びに乗せることができた時、自己成長を感じました。また、医療スタッフから、遊びの様子やどのようにしたら泣き止んだのかなどを尋ねられ、ボランティアの立場を「遊びのプロ、子どものプロ」として捉えてもらったやりとりがであったことも嬉しい出来事でした。また、振り返りのときに、私が、子どものベッドサイドにいったときに、すぐにおもちゃを出して与えず、おもちゃを袋から「何が入っているかな?」とわくわくさせながら、とり出すところから子どもの興味を惹き付けるようとしたことを話すと、坂上さんから、「遊びに入る前の導入のきっかけがうまい、ほかの方も見習うように」と言われ、ほめていただいたこと、これも嬉しかったです。

増田   学大学院生   活動開始年月(2013年5月より)

 昨年度は、1年目でした。入った当初は子どもへの接し方が分からず、先輩方の様子を見て真似をすることが精いっぱいでした。6月に初めて1人で担当した際に、一緒に遊んだ女の子がすごく楽しそうに遊び、たくさんお話をしてくれたこと、その女の子が2回目にも楽しみに待っていてくれたこと、ママには内緒の話をたくさんしてくれたことがきっかけとなって、自信を持てるようになりました。おままごとやミニカーなどで遊んでいると子どもの発想や想像力の豊かさに驚きました。また、カードゲームやボードゲームはこちらも真剣になってしましいました。子どもたちに笑顔になってもらいたいと思っていても、私自身が楽しい時間をもらっているように思います。

子どもの発達について授業で勉強をしてきてはいましたが、活動を通して、実際に子どもを見ることができたこと、直接子どもに関わることに慣れたことがこの1年での大きな変化であると思います。また、毎回の活動の振り返りの際に皆さんのお話を聞くことで、経験豊かな皆さんの子どもへの声のかけ方、接し方、遊ぶ時の注意などを学ぶことができました。大学の授業では得られなかった経験と学びの機会を得られたことに感謝しております。

 

木村侑司   会社員   活動開始年月(2006年10月より)

昨年は週リーダーの補佐という立場をやらせて頂きました。その中で特に印象に残っていることは、ベッドに座って泣いていた2歳の子とボランティアさんとの関わりです。看護師さんからも、入院したばかりで抱っこしても泣き止まないし、遊べないと思いますと言われていました。

その言葉の通り、初めは「ママー!」と病棟に響き渡るほどの大きな声で泣き、ボランティアさんが歌を歌っても、絵本を読んでもかき消され。それでも約1時間、立って歌を歌ったり、ときどき椅子に座ったりしながらひたすら抱っこし。汗びっしょりになりながらあやし続けた結果、コーディネーターの坂上さんのアドバイスでピタッとその子は泣き止んでくれました。

週リーダー補佐をやって一番驚いたのは、このようにひとりぼっちでいる子、泣いている子もいるんだなということです。私は普段は会社員として働いており、土曜の活動に参加しています。大学等で保育を学んだわけでもなく、仕事も保育とは別の事務仕事です。なので今回のような時はどうすることも出来ず、他の部屋も周りながら、この坊やに対しては頭を撫でてあげたり、声をかけてあげたりしか

出来ませんでした。ただ、ガラガラドンには週リーダーの上に、保育士の坂上さんがいらして、コーディネーターとして全体を見てくれています。困った時や相談したい時に、アドバイスをもらえるので、昨年は何とかやりきることが出来ました。

岡部  会社員 活動開始年月(2081年3月より)

私は、退院後の支援の重要性を感じています。ガラガラドンでは小児がんで長く入院していた子どもたちの退院後の支援をしています。夏休みの伊豆高原のお泊りもその一つです。病院以外の場所で、元気になって日焼けをして真っ黒になっている子ども達を見ると感慨深いものがありました。外で笑顔で走り回ったり、笑い声があちこちから聴こえてきて、病気ということを気にせず遊んでいる様子を見ることができ、一緒に遊べたことは、闘病中の様子を知っているからこそ本当に嬉しく思いました。

 久しぶりに会う子ども達は、もう小学生ではなく、中学生へと成長しても、私の手を掴んで遊ぼう!遊ぼう!とすぐに前のように懐いてくれたてとても嬉しかったです。一緒に大浴場のお風呂で泳いだり、卓球やトランプをしたり、カラオケをしたり合宿に来ているようで、子ども達が嬉しそうに走り回って体一杯その喜びを表現してくれていて、私も本当に楽しい時間を過ごせました。

 そして、骨髄移植をして、3年におよぶ闘病をへて、退院したこうへい君、20歳の誕生日を一緒にお祝いできたことも。病室で誕生日をお祝いしたことを思い出すと、旅行に一緒に行ってそこでお祝いできるなんて夢のようでした。

 病院で、それぞれが厳しい治療の中、一緒に寝起きを共にした仲間が、お互いかけがえのない存在であることを改めて認識しできたこと、退院した後もこうして一緒の時間を過ごし、つながりを感じあえたことは、子ども達にとって大きな財産になると実感しました

社会と病気の子どもやそのご家族をつなぐNPOの重要性も実感しています。

溝部 乳児院勤務 保育士 活動開始年月(2011年8月より)

私はガラガラドンで、活動以外のことも学んでいます。昨年は世田谷で開催された第1回遊びのボランティア全国交流集会にも参加しました。各地より実際にボランティア活動をしている人々が27人集まり、活動報告や意見交換を行いました。その際に「ボランティアのコーディネーターは誰なのか?」ということについて、

・そもそもボランティアのコーディネーターがいない病院もある

・コーディネーターが総務課の人であることもあれば、医師や看護師のこともある

・保育士がコーディネートしてくれると連携しやすいのではないか

などといった活発な意見交換があったと記憶しています。

その日から、私はガラガラドンの活動のなかで、意識的に坂上さんや週リーダーさんの動きに目が行くようになり、坂上さんや週リーダーさんが看護師さんから申し送りを受け、子どもたちと私たちボランティア、またボランティア同士をつなぐ役割を担ってくださっていることがよくわかるようになりました。そして今年2月に第2回小児病棟遊びのボランティア交流集会に参加しました。会場のあいち小児保健医療総合センターにの交流集会にはボランティアのみならず、医師や病棟保育士の方々もいらっしゃっていました。病院側からボランティアを導入した例や保育士がボランティアのコーディネートを担当している例、ボランティアメンバーのなかにコーディネーターがいてコーディネートをしている例など、小児病棟におけるボランティアの様々な形を知ることができました。それと同時に、小児病棟における遊びは、医療関係者と保育士、ボランティアの協働のもとに成り立っているものであると感じ、入院している子どもたちとその家族を支えるために、保育士やボランティアが小児病棟に日常的にいる病院が当たり前である社会を目指していかなければならないと強く思いました。

 

古賀 保育士 元公立保育園園長 活動開始年月(2011年11月より)

毎回、この活動はとても勉強になっています。印象深く記憶に残るのは、白血病のために長期入院をしてた1歳のRくんとの交流です。7か月くらいクリーンルームで治療を受けていました。ボランティアは、土曜のほか、平日も体調の良い時に遊びにいきました。

本来、1歳児は「歩くのが仕事」。戸外を歩き回り、石ころや葉っぱを拾い、ありんこを追いかける、そんなあたりまえの遊びが保育園ではみられます。そういう遊びができず、長期間病室で過ごすのは、漠然と「小さい子の入院は大変だろうな」と思っていました。実際に子どもの置かれた環境をみて、大変な忍耐が必要なことだとわかりました。そんな環境の中で、体調がすぐれなくても私たちを待っていて、「はやくオモチャだしてよ~」という表情でベットから覗き込んで待っているRくんの姿。

今日は遊びに気が乗らないんだなと思っていた時がありました。それでも、お母さんの話では、その前はぐったりして起き上がらなかったと聞いて、辛いながら、それでも一生懸命遊んでいたんだとわかり“こどもは遊ぶことが生きること”との思いを確信しました。

また、お子さんにずっと付き添うご両親の苦労もいかに大きいか、「お天気がいいので遠回りして買い物してきました」と戻ってこられたママの言葉に、私たちが少しでも支えになれるよう頑張りたいと思いました。退院してから、公園で遊ぶ写真を見せていただきました。大きく口をあけてうれしそうなお顔、闘病中の様子を知っているので本当にうれしくてじっと見入ってしまいました。つい長年の習慣で「さー元気にあそぼうねー」と保育園の遊びのように勇んでしまいそうな私ですが、病院という制約のある環境のなかでは、なかなか難しいことです。無理なく、事故なく、楽しく遊べる知恵を学んでいきたいと思います。もうすぐプレイルームも使えるようになるとのこと、ほっとできる楽しいお部屋がつくれるよう、みなさんで準備していくのも楽しみです。

吉文   保育士    活動開始年月(2009年1月より)

昨年は、ガラガラドンの皆さんとお子さん達の笑顔にパワーをいただき活動させていただくことができました。本年度も細く長く継続する!をモットーに、お子さんとの出逢いを大切にしたいと考えております。

伊藤  会社員   活動開始年月(2009年2月より)

昨日は約5年間のガラガラドンの活動で初めて卓君と遊びました。卓君とお母さんは何度か通信やブログに登場していたので何となくは知っていましたが、実際にお会いしてお話するのは初めてでした。卓君のような重い障害をもつ子と遊んだ経験はなかったのではじめはどうしたら良いのかよく解りませんでした。ただ、手渡された絵本を卓君に見えるようにしてゆっくりとはっきり発音するよう意識して読みました。少しずつですが、卓君の目が私の目を見てくれている感じがしてきました。半分位読んだところで卓君は気持ち良さそうに眠ってしまいました。私はとても嬉しく感じました。卓君のお母さんは、坂上さんとは卓君が5歳の時から20年来のおつきあいであること。5年ほど前に2年間入院した時とても大変だったこと。私が5年前に一緒に遊んだ「こうへい君」がすっかり元気になって活躍されていること等をとても嬉しそうにお話して下さいました。ガラガラドンでは毎回毎回全く違う体験をします。ただ、毎回毎回全く同じなのは、帰り道で自分の心が喜んでいるのを感じることです。私は病室に入る時、今日、この子が私と遊ぶことでほんの少しでも楽しい気持ちになれますように!とお祈りします。本年度も同じ気持ちで子供達とたくさん遊びたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

田生   塾講師    活動開始年月(2011年7月より)

ある日の土曜日、13歳の女の子、ころちゃんと遊びました。ころちゃんは心のケアを受けているということでした。はじめはどんな遊びがいいだろうか、遊びたいといってくれるかなとどきどきしました。お部屋にいくとかわいいフェルトのマスコットがありました。ころころとかわいらしい、お店で売っていてもおかしくないようなマスコットは、なんと、ころちゃんの手作りだとか。そのときに、「ほかにも、いろいろなフェルト遊びをやってみる?」と聞いたところ、ころちゃんも乗り気だったので、翌週にフェルトで刺繍をしたオリジナルエコバッグを見本にもってきました。それを気にいってくれたので、一緒に作ることにしました。ディズニーが大好きだと聞いていたので、ディズニーのついた雑誌を持参し、それをパラパラめくりながら見て「これが作りたい!」と指さしたのは、ハロウィンの「おばけのミニーちゃん」でした。方眼紙に下絵を書き、バッグに下書きをし、輪郭をフェルトでちくちく刺していきます。「口がうまく描けないよ~」「ピンクと白のフェルトを混ぜたら、うすいピンクができるかな?」と、どうやったら頭の中の完成図に近づけるか、すっかり夢中です。ころちゃんはフェルトの道具の使い方も大体わかっていたので、私からは、その力を生かして、「もっといろいろなものが作れるよ」と提案し、自分でできるところは自分でやってもらい、困ったら手助けをすることを心がけました。これまで作ったことのないものを作るときの、ちょっとドキドキする感じや、やってみたら意外とうまくいったときの嬉しさ、いいアイディアが浮かんだときの、自信を取り戻した表情。ころちゃんのいろんなお顔を見ることができました。

私は普段から手芸が好きで、気持ちが落ち込んだりしたときには、手を動かすと心が落ち着きます。手芸をしていると無心になれるのです。今日はころちゃんと、手芸を通して楽しい時間を過ごすことができて、私も嬉しかったです。

るみ   保育士   活動開始年月(2013年9月より)

私はガラガラドンに入ろうと思ったきっかけは、自分が病気で入院している時に隣の部屋に小さな男の子がいました。お家の方がいらっしゃらないと寂しくて泣いていました。同じ抗癌剤の治療をしていたので、お互い体調のいい時は一緒に遊ぶ事が多くなりました。こんな私でも必要とされているんだと思うとまた遊ぶのが楽しみになってきていました。

そしてこの病気が治ったら病気と戦っている子の為になる事をしたいと考えながら入院生活を送りました。幸い保育士の資格がありましたので、入院後は子育て支援の手伝いをしていた所、このガラガラドンがあることを知り一緒に仲間に入れてもらう事ができました。まだ活動歴は浅いのですが、遊んでいる時のお子さんの笑顔をみれるのを楽しみに参加させて頂いています。

石井  子ども病院保育士・HPS・社会福祉士  活動開始年月(2009年9月より)ガラガラドンでは第4週リーダーの役割を受け持ちました。 一言で病院ボランティアと言っても、その実態は千差万別。ボランティア側の自己満足にならずに利用者のニーズに寄り添い、ボランティア自身も充実感を得られる活動を継続することは決して容易くはありませんが、他での取り組みを知ることが大きな一歩となります。第二回を迎えた全国遊びのボランティアネットワークでは、日本各地の多彩な活動報告に加えて、基調講演でボランティアの役割や意味を客観的に捉えた基調講演の安立清史先生に、先進的なアメリカのボランティアコーディネーターの話を伺いました。アメリカと日本では医療保険制度も社会的背景も文化も異なりますが、ボランティア受け入れに対するリスクとメリットが8:2から2:8に逆転すれば、常識は変えられる。上でディスカッション出来たことが、ボランティア全体の底上げに繋がっていく予感がしました。基調講演の安立清史先生に、先進的なアメリカのボランティアコーディネーターの話を伺いました。アメリカと日本では医療保険制度も社会的背景も文化も異なりますが、ボランティア受け入れに対するリスクとメリットが8:2から2:8に逆転すれば、常識は変えられる。千里の道も一歩から。継続は力なり。日々の地道な活動を通して、社会福祉制度の狭間に取り残されがちな病気の子どもと家族のニーズに合った支援を積み重ねていこうと、気持ちを新たに2014年度の活動に励みます。

齊藤  幼稚園教諭    活動開始年月( 2013年4月より)

私は長年、幼稚園教諭として子どもの発達に関わる仕事をしています。子どもの発達において、遊びがどれだけ大切か。病気の子どもにとってもそれは同じこと。入院中だからといって、遊びを取りあげてしまうということは、あってはならず、ましてや、入院が長期に及ぶ時、「退院してから遊びましょう…」なんて、子どもにとって、とんでもないことです。子どもは毎日成長しているのですから。

日本全国、どこの小児病棟でも、子どもの遊びが導入されていれば良いのですが、安全面や人件費等、様々な問題点があり、日本は遅れているようです。『ガラガラドン』の活動の中で、(保育を学ぶ学生)これからの若者中心に、坂上理事長のような、病院とボランティアをコーディネートする人材が育ち、増え、日本中にこの活動が拡がることを願います。

私も、その片棒の…何万分の一、何百万分の一かもしれませんが…担げるよう、今年度もコツコツと参加させていただきながら、学びたいです。

米中 保育士(HPS)2013年10月より

私は昨年の9月からガラガラドンの活動に参加しています。日常とは全く違った環境の中で治療を頑張っているお子さんたちに、遊びを楽しんでもらいたいという思いから、ボランティアを始めました。

私は活動では、主に1才~2才の小さいお子さんと遊んできました。夢中で遊んでいるお子さんの笑顔から、言葉がなくても楽しい様子がうかがえ、また、親御さんからは「遊んだあとは子どもが違う」という声も聞かせて頂き、嬉しく思いました。がらからどんは代表の坂上さんと病院との信頼関係の元に、定期的な活動が長年続いているので、素晴らしいと思います。私もその活動の一端を担わせて頂き、一人でも多くのお子さんの笑顔が見たいです。

能澤  大学院学生   活動開始年月(2013年5月より )

 昨年5月から毎月2回参加しています。初めの日、私はベテランボランティアの溝部さんとふたりでダウン症白血病の1歳のT君という男の子と遊びました。T君はおもちゃを見るとうれしそうにそれらで遊び始め溝部さんと楽しそうにやりとりをしていました。私は保育を勉強しましたが、実際に子どもと遊ぶ経験はほとんどなく、言葉を話せない子どもとどのように関わればいいのか、どのようにすれば子どもに気持ちを伝えられるのか分からず、最初はただ2人の様子を見ているだけでした。しばらくするとキーボードから流れる音楽に合わせて歌ったり、T君と同じおもちゃで遊んだりということが自然とできるようになりました。自分からT君に働きかけることはなかなかできなかったのですが、T君に働きかけてもらって、心が通わせられたと感じることが1度ありました。その場面は、私がくまの人形を使ってT君の前で「いないいないばあ」をした時に、じーっとくまを見つめ、何回かやるとうれしそうに笑ってくれたという場面です。その笑顔を見て、楽しんでくれたんだなあと思い、私もとても嬉しくなりました。初めて病棟にいる子どもと関わった私にとって、この体験はとても貴重な体験でした。その後の活動では、同じ子と関わらせていただくことが多くありました。前に遊んでいるだけに子どもの前でも緊張せずに自分らしくいられるようになり、子どもたちとどのように向き合っていけばいいかということも分かるようになりました。

 わたしは現在、大学院で心理学を学んでいます。その中でも子どものプレイセラピーに興味を持ち、実習を行っています。ガラガラドンの経験は現在の実習でも生かせています。これからも、子どもたちとの遊びの時間を楽しく過ごしていきたいです。

佐藤   アロマセラピスト   活動開始年月(2010年10月より)

病院の活動の傍ら、週1度は事務局に行き、運営のお手伝いもしています。

今度、医療センターに新しいプレイルームができるということを聞いたのは昨年の11月頃でした。早速坂上さんと病院の先生方と一緒に新宿区の「ここひろば」に行って、子どもにとって安全で遊びやすい保育室を見学させてもらいました。

病院は予算があまりないということでしたので、プレイルームにかかる費用はNPOで応募できる助成金を探すことから始めました。ソファや椅子、テーブルなど備品は共同募金に、おもちゃの費用は北川奨励賞に申請しました。どちらも厳しい倍率でしたが、幸運にも両方とも通り、共同募金からは34万円、北川奨励賞からは30万円の助成をいただくことが出来ました。

NPOと病院からの寄付を足して80万円近くの資金がプレイルーム開設に当てられることになりました。

数人のメンバーと一緒に、おもちゃ屋さんをまわりいろいろなおもちゃを購入しました。こうしてプレイルーム開設の準備からボランティアが関われたことも嬉しく思っています。

子どもたちとピカピカのプレイルームで遊べる日が楽しみです。

山内 元造形教室主催 アートボランティア (2007年10月より) 

ガラガラドンのこと

人は皆愛情を入れるバケツを持っているようです。

バケツの中身が少ない人は自己中心。

でもバケツに愛情が溢れる程一杯の人はまわりにわける優しさが備わっているそうです。

ガラガラドンのメンバーは全員満杯の愛情バケツを持っている素晴らしい人たちだと思います。

続けられる7年目の幸せに心から感謝します。

宮崎  保育士 活動開始年月(2009年5月より)

私が、がらがらどんの活動で大事にしていたことは、短くても中身の充実した時間を子どもと過ごすことでした。かつて、何年も小児病棟に入院していた息子との経験から、一緒に過ごす時間は長さではなく、どう過ごすかが大切であること。そして親といる時間は短くても、子どもの気持ちを尊重してくれる人達と接していくことで、子どもの心はちゃんと成長するということも実感しています。

今年度も自分にできる事を精一杯やっていきます。そして、いつも病院の他に、ボランティアが働きやすい環境のために、事務局のお仕事をやって下さっているボランティアの皆様にも感謝です。

山本   小学校副校長   活動開始年月(2006年12月より)

  その日、私はコーディネーターをする日でした。メンバーと子どもをマッチングする役目です。看護師と打ち合わせ、一通りコーディネートを終えて各部屋の遊びが軌道に乗り始めたのを見届け、学習室に戻りました。その日の記録と振り返りの準備をしてもう一回りしようと学習室を出た途端、1人のお父様がやってきて、「ボランティアを頼んだ覚えはない、配慮が足りない」、表情が険しく、一目でご立腹の様子。メンバーが何か事故でも起こしたのかと、背筋が冷たくなるのが分かりましたが、話を聞いている内に事情が呑み込めました。折角お父様が時間を作って息子さんのお見舞いに来たのに、息子さんはボランティアと遊んでいて、自分が入れる雰囲気ではなかったということでした。事故でなくてよかったと内心安心しながら、気持ちを切り替えて、お父様の訴えに耳を傾けました。息子のR君は5才で、その日は、パズルをしたり同室の4年生の女の子とボランティアら5人でジェンガやUNOをしていました。なるほど、R君、楽しそうに遊んでいたなあと思い出しました。お父様にしてみれば愛する我が子の入院というショック、離れて治療を受ける我が子を不憫に思う気持ち、仕事を調整して面会に急いで駆け付けたこと、様々に絡み合った感情がおありだったと思います。「配慮が足りず申し訳ございませんでした」とひたすら、謝罪に努めますと、最後は穏やかに「ボランティアには感謝しているんだが」と言葉にされ、お帰りになられました。

 この一件からボランティアがいつも感謝されるわけではないこと。ボランティアのマッチングにも気をつけるようになりました。もちろんこれまでも、ご家族が病室におられる時、親子水入らずの時を過ごせるように配慮しています。乳児であれば、ご家族の方が途中からみえたときは、遊びを中止するか継続するかお伺いします。子どもが意志を伝えられる年齢であれば、子ども自身がそれを選択します。子どもが望まないのに、遊びを中止したり継続したりという選択をご家族やボランティアがすることはありません。ご家族が途中から来室された時は、遊びをやめて引き上げることもできますが、子どもの思いを優先するべきだと私は思っています。それでも、このようなお父様がいらっしゃるので、ボランティアも家族の表情に気をつけてやらねばならないと思いました。

 

山中  保育士   (2012年1月より)

皆さんとご一緒させてもらって4年目になります 本来なら社会養護の対象として 公的に支援されるべき病棟の子どもたちと家族…気づき関わった私たちは責任があります 保育士の知識を無駄にせず活動に活かしていきたいです

そして…心に残る何人かの子どもたちの中で幼い頃の自分を見つけたエピソードをひとつ

ママの抱っこでも ぐずって中々寝付けない2才前の女の子 さくらちゃん 大きな受験生のお姉ちゃんがいて ママとお姉ちゃんことで話に花が咲いておしゃべりをしていたら さくらちゃんがしゃくり上げながらもやっと眠りにつきました 後日ゆっくりそのことを思い出したら 私自身の幼い頃の記憶がぼんやり浮かんできました 就学前くらいの頃 母は来客とおしゃべり中 もうおんぶは望めないのに母のトーンの上がった機嫌良い声に 思いきっておんぶをねだったら 期待通りの御許しが…子どもはそんな見極めの天才 来客で断わりにくく 私のグズりを未然に防ぎたい母はにこやかにおんぶをしてくれました 暖かい母の背中越しに聞いた独特の響く声が心地よく いつもと違う母のよそゆきの雰囲気が新鮮でとてもうれしかったのです

幼少時 どれだけ愛してもらったかが それからの生きる力になります

困難に立ち向かう原動力に…

幼い頃の宝物 抱きしめられた感触 匂い 心地よい声 もらった笑顔…

世の中の子どもたちに できるだけたくさんの宝物が当たり前に届くようにと思わずにいられません

福田 会社院(2013年7月)

子どももいない私がボランティア出来るかなと不安でしたが、毎回楽しく遊び、こちらまで幸せな気持ちにしていただいています。

阿部   (2012年12月より) 

ガラガラドンの活動に参加してから1年半が経ちました。3年前、当時小学2年生だった娘を天国に見送り、まだ喪失感を埋められないでいた入会当初に比べ、周囲の方々のおかげでだいぶしっかりと前を向いて歩むことができるようになったと実感する今日この頃です。

昨年4月にガラガラドンの何人かと行った福島の花見山。坂上さんのお友達が福島で農業をなさっていて、そのお友達とガラガラドンとの合同のお花見でした。私は福島とガラガラドンのつながりがよくわからないまま、二つ返事で参加したのですが、とても印象深い大切な花見になりました。この旅を振り返ると、個人的なものと思っていた私の体験は福島のみなさんが抱えている苦しさに重なるところがいくつもありました。傷を舐め合うというのではなく、悲しみ苦しみを共有するということは、そこから思いやりと優しさと強さが生まれるということに気がつきました。福島で出会った方々は放射能の被害や家を追われて仮設住宅で暮らし、厳しい状況を担いながら、それでも元気で明るくて優しくて、キラキラと力強く輝くお母ちゃんたちでした。

5月の娘の命日には坂上さんはじめガラガラドンの仲間たち、同じ経験をしたママボランティア達も我が家に来てくださいました。お互いの体験を話す中で、会ったことのない子どもたちとまるで、今会話しているような感覚を覚え、娘もみんなの中で生き続けていると確信した時間でした。

私にとって月に1回ではありますが、ガラガラドンでの活動はとても大切な時間です。

ここで出逢った方々に、そしてこの活動に関われることに感謝してこれからも続けていきたいと思います。

大石 ホスピタルクラウン 2013年4月より

2009年、テレビで見たホスピタルクラウンという職業に憧れ、 ホスピタルクラウンの 講習を受けてピエロになりました。自営ラーメン店の定休日に 病院の小児科ロビーや 入院している方の前で ピエロをやっていました。2011年。ラーメン店をたたみ、4月初めから11月まで約半年、東北の被災地をまわり子供たちのために活動をはじめました。212日間で演じた場所は204か所。バイクの総走行距離は約9200キロになりました。冬は東京に戻ってくるので、また病院の皆さんと遊ぶのを楽しみにしています。