病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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忘年会2015

2015年12月12日 ガラガラドン忘年会 参加者 14人。(ボランティア13人と元小児がん患者1名) 時間 16時半~20時半
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さしつ、さされつ「らいねんもよろしく」
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大賑わいで靴は廊下の外にも
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この日はボランティア活動の後に事務所で忘年会をしました。 もちよりのごちそうは、大鍋にいっぱいのおでんとイワシ・するめのてんぷら、もずく酢、青菜の胡麻和え、ぐらたん、ニンジンさらだ、かぼちゃの素揚げ、チャーシュウ、カボチャサラダ、五目ずし、れんこん煮物など十数種類の料理がならび、2台のテーブルにごちそうが収まらず、急きょ段ボールの即席テーブルを作ったほどです。 乾杯のあと、ごちそうに箸をつけながら、各自、今年の重大ニュースの報告をしてもらいました。 山本:小中の副校長をしています。次女がめでたく結婚がきまりました。(大きな拍手) 田生:8月に転職しました。塾の講師から障害児の施設職員になりました。ボランティアの経験が役にたっています。 山中:子ども3人の母親です。保育士資格をがんばって取って現在乳児院で働きはじめました。 浅野:2児の父親です。土曜の午後月1回という条件なので、昨年からボランティアを始めました。我が家のビッグニュースは小学生の娘が絵画コンクールに受賞されたことです。 今泉:ボランティアを始めて2年目です。今年はあこがれのバイオリンを始めました。 猪又:子どもと遊ぶボランティアを探していてガラガラドンを見つけました。活動歴は1回です。まだ新人です。 古賀:今は退職していますが保育園に努めていました。この活動は素晴らしいと思っています。それとガラガラドンにとって坂上さんが今年大学院を卒業されたので、それがビッグニュースです。私は大学院の体験記を読ませてもらい、病院におけるコーディネーターの重要性をいっそう感じています。 萬谷:坂上さんの大学院卒業はガラガラドンの大きなニュースです。80年代に始めて病院で小児がんの子どもと母親に会って、弁当の差し入れを始めているわけですが、相手のニーズを実行に移す、それが大学、大学院に続いている。坂上さんは書いて発信してきたわけですが、坂上さんの論文は個人のものではなく社会にボランティアコーディネーターを位置付けていくための学問でした。めでたく修了されて、これは活動の成果といえると思います。私事ですが、「キミコ・プラン・ドウと私」と題して調布文化会館で水彩画展を開催します。 佐藤:来年1月から臨床アロマセラピスト目指して2年間、学校に通います。 小川:特別支援学校の教員です。今年試験に受かって主任になりました。それと海の近くに引っ越して休日はサーファーをしています 学生:大学のゼミで坂上さんの本をよみ、入院児の遊びや保育に感心をもってこのボランティアに参加しました。 元患者Aさん:小学校4年生から中学2年まで白血病の治療のため入院していました。ガラガラドンとたくさん遊んでいただきました。今年は大学の英文科に入って、今英語を勉強しています。それと週3日、アルバイトも始めました。大学とアルバイトの両立が厳しいです。 坂上:みなさんに助けていただいて、60にして大学院を修了することができました。命からがら、体を壊さず修了できましたのも、ボランティアの皆様のおかげです。ありがとうございました。この研究を今後の小児医療の改善にむけて生かしたいと思っています。修了の詳細はhttp://asovo.at.webry.info/201504/article_2.html

「にこにこトマト」20周年の会」に行ってきました

2015年10月31日(土曜) 100人の立食パーティー、懐かしい方々と乾杯!
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京都大学医学部付属病院の小児病棟の「にこにこトマト」というボランティアの団体があります。今年20周年を迎え、10月31日(日)に20周年記念行事が開催されました。20年というと、生まれた子どもが二十歳になる年月です。「ガラガラドン」は1991年生まれで、来年25歳になるので、「にこにこトマト」とは4つ違いの妹みたいな存在です。 「にこにこトマト」は代表の神田美子さんがお嬢さんの入院をきっかけに、活動を始められました。 病院らしからぬイベント盛りだくさんの行事は、夏祭り、ハロイン、バザー、そのほか、音楽活動や絵画など週に4日ほど盛りだくさんのイベントが開催され、社会にあるものをどんどん病院に取り込んでいます。 この日はハロウィンの日でした。入口の白い壁はオレンジと黒にそまっていて、さっそくこどもワールド「にこにこトマト」にようこそという感じで歓迎ムードです。受付の名札は美しい墨の筆文字で手作りの切り絵が施されてたり、プログラムもあけてびっくり玉手箱。売店はシャツやグッズ、手作り品が並び、私の本も売って下さっていました。プログラムは主に3部構成で、①講演、②パーティ、③余興とあり、この中で一番の楽しみは①講演です。ぜったいに聞き逃せないと、東京6時半発の新幹線に乗ってかけつけました。 ご講演はサングラスに背広の小寺洋一さん小寺さんの話を直接聞けるってとてもラッキーなこと。小寺さんは20年ほど前になりますが、大学3年生のときに失明され、その後、点字や歩行訓練を受けて一人暮しを始められた方です。当時21歳という若さでした。真っ暗闇のどん底に落ちて、なげいている暇はない、生きていくため今何をすべきかを次々考え、向上していく姿が毎回の「にこトマ」通信に綴られていました。「ウサギと亀の話、本当にあるんですよ、努力していると追い抜いちゃうってことが」って。努力の積み重ねは奇跡を起こして一発逆転ではないけれど、最後はやっぱり奇跡を見るようでした。 彼は失明から3年たって一人旅に挑戦していますが、その行先がニュージーランドで3か月のバックパッカー。英語が堪能なのかと思ったら、3か月前に始めたとかで、この英語で通じるか?程度で行っちゃう度胸はあっぱれ。その話はご著書「白い杖の一人旅」に譲りますが、さらにその後大学に挑戦し、心理学を学ばれ、今はカウンセラーとして、あるいは京都府視覚障害者協会の理事として活躍されてます。 小寺さんの話は「私も同じ」と思わせるところがうまいんです!1時間の講演の中で印象に残った言葉のひとつに「手助けしてもらうことで、相手にもプラスになる」って。失明してから人の手を借りないと先に進めなかった小寺さんは、「すみません、ありがとう」と何度も繰り返すことに嫌気がさしながら、ある時、自分のすみませんは「相手にもプラスになっている」ことに気づかれます。 私たちガラガラドンにも、そういうことってよくあること。子どものベッドサイドに遊びに行くと、「スミマセン、昨日から病室出る時間なかったので、ちょっとパン買ってきていいですか?」、「どうぞ、ごゆっくり。コーヒーも飲んできてくださいね」、「ありがとうございます。助かりました」。ボランティアたちも役にたてた喜びを得られ、たくさんのプラスをもらって帰っていきます。もう1つ、小寺さんは「重大なことを(失明して)失ったが、かわりに他の重大なことを手に入れた」という表現をなさってました。体験者から出た言葉だけに説得力があります。私も8歳で孤児になって、カトリック系の児童養護施設で育ちました。重大なこと(親)を失ったかわりに重大なこと(他者の支援と無償の愛)を手に入れたと実感しています。あるいは、会場にはお子さんが難病で入院されたり、亡くされたり、筆舌に尽くしがたい経験から「重大なことを失った」方もいらっしゃいます。しかし一方で「他の重大なことを手にいれた」であろう会場の皆さんの共感が、終了時の割れんばかりの拍手に感じました。 ②の立食パーティでは、100人もの人がいました。「高谷さん、ラインやってる?アドレス教えて」「坂上さん、スマホ?」「え~負けてられない、ガラ系から変えようかな(しぶたね)」「ショップの買い物も行こう」「小寺さんにサインもらわないと」なんて、食べながら、しゃべりながら、名刺交換しながら、新しい友達も出来ました。 ③余興は「にこトマ」プレイルームの実演版。お馴染み、たっきゅうさんの大道芸、手を変え品を変えてのマジックと話術に腹を抱えて笑い転げるひと時がありました。最後にゆうこさんの登場。ソプラノの美しい声でアヴェマリアが流れると、隣からも、後ろからもむせび泣きが―。「にこトマ」ワールドのほんの一端を体験させて頂きました。 会場入り口には、にこトマの写真展があり、日ごろの活動の風景が見られます。でも、最初からこうではなかったのです。病院というところは、命ぎりぎりに向き合う子どもがいて、親も疲労困憊しています。感染、プライバシーに配慮し、こども中心の遊びの活動を展開していくことは簡単なことではありません。病院も最初の頃は固かったでしょう、冷たかったでしょう。しかし、20年がたちりっぱな遊びのボランティアの花が咲きました。同じ活動の道を歩んできた者として大変うれしい存在です。「にこにこトマト」20周年おめでとうございます。 国立国際医療研究センター小児病棟 ガラガラドン代表 坂上和子  全国小児病棟「遊びのボランティア」ネットワーク 共同代表 写真展「みてみて」「どれどれ」
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代表の神田美子さん(中央) 坂上(左) 林三枝さん(右・ハートリンク)
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名札は筆文字 シールや切り絵で愛嬌たっぷり
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あかねちゃんの快気祝いに北海道へ 離れていても応援するよ

2015年10月10日~12日 訪問者 坂上和子 加藤郁子(パソコンインストラクター) {%飛行機webry%}三年前までガラガラドンのいる病院で闘病していたあかねちゃん(20歳)の快気祝いに北海道に加藤さんと行きました。 二泊の旅は車で移動、女満別空港でおりて、網走から美幌峠、屈斜路湖摩周湖、阿寒湖をまわり、富良野にもいきました。あかねちゃんちやママのお店にも行きました。 「北海道は広いよ、新宿みたいに人がいないよ、新宿は車と人だらけ、家も隙間がないね、」と言っていたとおり、広くて、人が少なくて、車すいすいでした。 あかねちゃんは入院当時17歳でした。きつい治療を受け、やっと退院できたのに、再発し、約9か月、北海道で治療をうけました。2度目は移植が必要で、その当時は体重が20キロへり、起き上がることも出来なかったほどです。けれどもこの夏に移植も生着し、退院できて、伊豆高原のホテルにも一緒にきました。http://asovo.at.webry.info/201508/article_1.html この間、体力もつき、見違えるほどふっくらして、髪も伸びておじょさんらしくなり、「仕事も短い時間、はじめようかな」と聞いたので、快気祝いに何がいいかな?と考えました。そうだ、一緒に旅をしようと思い、加藤さんに声をかけました。天気に恵まれ、紅葉もきれいでした。たくさんおしゃべりして、ジンギスカンやらカニなど食べながら、入院中にできなかったことを楽しみました。何よりあかねちゃんの笑顔が嬉しかったです。 高度医療の病院で私たちはいろいろな子どもたちと出会います。中にはあかねちゃんのように遠く北海道からやってきて、親子は孤独な環境に耐えて闘病しています。遊びのボランティアはそうした親子とのつながりが入院中だけでなく、退院してもつながっています。離れていても応援しているからね!コーディネーター坂上和子                             {%車webry%}私は、あかねちゃんがガラガラドンのいる国際医療研究センターで出会いました。治療中に時間があるから「MOSを取得したい」ということでパソコンボランティアを募集していたのをきっかけにガラガラドンの活動に携わることになりました。http://asovo.at.webry.info/201212/article_2.html はじめてあかねちゃんを訪問したときはマスクとガウンを着用しなくてはいけなくてちょっと緊張してしまいましたが笑顔で迎えてくれました。あかねちゃんは意思をきちんと言ってくれたので「素直でやる気のある子、教えやすくてよかった」と安心しました。お勉強ばかりだと飽きてしまうので、図形を組み合わせてお絵かきをしたらお世話になっている大好きな看護婦さんの似顔絵をたくさん描きはじめ、それがとてもかわいく上手に描けていました。シール用紙に印刷してプレゼントして、とても喜んでもらえたそうです(あれはもらったら絶対うれしいと思います)。あかねちゃんの体調に合わせての訪問だったので回数はあまり多くなかったですが、試験という目標の途中で楽しめる要素がもっとあってもいいのではないかと思うようになり、仕事(女子高の教員です)にも活かしています。あかねちゃんのおかげで、私の担当クラスのJKたちは授業で「ジャニーズの応援うちわを好きなもので」作って楽しんでいます♪(その前は希望者のみ休み時間とか放課後に教えてました)。その後、通信や坂上さんからあかねちゃんの様子を聞いてどうしているかなと思っていました。 秋にあかねちゃんに会いに行きませんかと坂上さんに誘っていただき3連休を利用して行ってきました。去年再発して、今度は新宿ではなく、地元で治療を受けていたと聞いていたので、どんな様子なのかと気になっていたのですが、女満別空港に迎えにきてくれたあかねちゃんは、思っていたよりずっと元気そうでちゃんとご飯もしっかり食べていて、ほっとしました。 網走→美幌峠→阿寒湖→帯広→富良野→帯広とあかねちゃんとあかねちゃん家族が車で案内してくれました。ちょうど紅葉がきれいな時期で、北海道らしい景色はもちろん見たことのない道路標識もあり、車で走っているだけで楽しかったです。現地ならではのおいしいお料理(いくら、カニ、ジンギスカン)やお菓子もたくさん食べて、楽しいおいしい2泊3日を過ごすことができました。何より元気なあかねちゃんの笑顔に出会えてうれしかったです。 ^^加藤郁子 あかね{%メールdocomo%} 北海道にまたきてね~ 雄大な北海道をスイスイ走って食べて笑いました
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平成27年度 「しんくみピーターパンカード」寄付金贈呈式

2015年9月3日(金)   出席:坂上と萬谷副理事 会場:東京都信用組合協会役員室 時間:AM10から10時半 東京都信用組合協会の「しんくみピーターパンカード」様より57万7985円を寄付金としていただきました。 この寄付金は障害や難病とたたかっている子どもたちやその家族への支援活動のため、これまで50団体以上に贈呈されています。 八木秀男専務理事より、「協会は直接、活動に関わるわけではありませんが、このようなささやかな資金で皆様の活動を応援したいと思います」とのお言葉をいただきました。ボランティアたちもいっそう、この活動を大切に続けていこうと気持ちをあらたにしております。ありがとうございました。
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納涼会「熱い夏でした~~}

2015年9月5日(土) 時間午後4時半から8時まで 参加者者13人  渡辺 伊藤 阿部 浅野 三上 増田 萬谷 今泉 佐藤 古賀 斎藤 中野 坂上 この日は手作りのエビフライ、チキンから揚げ、酢の物、五目御飯が並んで活動の後にかんぱい! 今年は猛暑でなかなか厳しい夏でしたが、このとおり元気に秋に向かっているガラガラドンです この日は中野雄介くんや伊藤ママも参加してくださいました。
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また秋からがんばりましょう!!
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病棟の夏祭りに参加しました

2015年9月3日(木) 時間 午後2時から5時まで 参加ボランティア 9人 (今泉 福田 北川 古賀 山内 三上 斎藤 山中 坂上) 今年も小児病棟の夏祭りに参加しました。主催は小児病棟ですがボランティアも役割りを分担して参加しました。全体に6つのコーナーが設けられました。①魚釣り、②ボーリング ③輪投げ ④うちわ作り ⑤ヨーヨー釣り ⑥しゃぼんだま  6つのうち、①から④はプレイルームで、⑤、⑥はプレイルームに隣接している庭で行われました。 1週間前にプレイルームの前にちょうちん装飾をしているボランティア ちょうちんはボランティアの手作りです
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天候も味方してくれて、楽しい夏祭りでした。 看護師さんに、ヨーヨー、買ったのよ!と言われて、打ち合わせの時の私の意見が生かされたんだと思いました。 最初は少し緊張気味な子どもたちも、夏祭りで遊ぶうちに、だんだん、笑顔になっていきました! シャボン玉をやっていたひなちゃんは、体がグイグイと前のめり! [いっぱいできた~] [大きっいのできた~] シャボン玉を吹くストローを放しません! けいくんが、空高く上がっていく大きなシャボン玉を見て、 「あれ、オレの!」 「わぁー!病院の外へ飛んで行っちゃったよ~!」 看護師さんとの何気ない会話を聞いていて、なんだか、嬉しくなりました。 ヨーヨーコーナーでは 誰も、こよりで作った釣り具では釣れなかったのに、 けんくんが見事な腕っぷしで、シヤッと釣り上げた時は、みな大歓声の拍手喝采! つばちゃんは、夏祭りの今日で、生後100日を迎えたそうです。 ベランダに来て、こんにちは~と声をかけると、お母さんは泣き出してしまいました。 その涙で、この3ヶ月間子どもの病気と闘い、人には言えない不安・悲しみを抱えてこられたのだと思いました。 それを乗り越えて、 しかも1ヶ月ぶりに外の空気に触れることが出来たつばちゃん。 お母さんは嬉しくて、嬉しくて、一気に思いが込み上げてこられたんですね。 私も嬉しくて、 「つばちゃん~! お祭りだよ~! わっしょいわっしょいラッセラ~ラッセラ~ ソイヤ!ソイヤ!」とリズムを取りました。 つばちゃんの小さな手が、私の指をぎゅ~っと握ってくれました。 ありちゃんは、オーガンジーの黒の素敵なスカートをはいてとってもオシャレ! 楽しみに待っていたんだと思いました。 今回、看護師さん、ボランティア、そして先生たちまでもが参加し、小児病棟全体で、この夏祭りを盛り上げていると感じました。 子どもも大人も、みんなどんどん集まってきて一体感がありました。 一番喜んでいたのは、もちろん子どもたちで、そしてお母さんたちです。 病気で入院していても、やはり、子どもたちの笑顔が一番ですね! 今日はそのお手伝いが出来て、とても嬉しかったです! 来年はみんなではっぴを着てやってみたい! もうそんな、来年に向けての夢が膨らんでいます!    遊びのボランティア 今泉聖美 造形ボランティアのいくこさんとうちわを作るこども
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お庭でしゃぼんだま
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  お庭でヨーヨー
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第6回 伊豆高原ホテル1泊旅行

第6回目 伊豆高原1泊旅行 2015・7月27日・28日

- 小児がんを克服した子どもたち5家族と-

6回目、「がんばれ!子供村」の招待で「アンダ別邸 伊豆一碧湖ホテル」に5人の患児と家族11人、合計16人がご招待いただきました。3人のボランティアも一緒に19人が伊豆高原で食べて、飲んで、歌って、温泉に入って大はしゃぎ。子どもたちは病院で見たこともないような笑顔をふりまき、ご家族も、にこにこと見守っていました。応援ありがとうの声を紹介します。

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これまでのホテル招待一覧

招待年 患児 家族  合計

2010年 6 (8)      14

2011年 7 (11)    18

2012年 6 (14)  20

2013年 7 (13)  20

2014年 8 (15)  23

2015年 5 (11)  16

合計  39人 (72)  111人

ホテルの招待は患者と親ときょうだいが無料。6年間の合計は延べ111人です。

、「がんばれ!子供村」http://www.kodomomura.com/achievement.html

ありがとうの声

{%男の子ブラウンdeka%}syu  (27歳)

先日はがんばれこども村によるリゾートホテルへのご招待を頂き、ありがとうございました。一昨年と今年、2回参加出来て、大変うれしく

思います。僕は 14歳の時に悪性リンパ腫を発症し、ガラガラドンのいる病院で治療を受けました。学生時代は、入退院を繰りかえしながら、闘病生活を送っていました。大勢で楽しく笑ったり、遊んだり、普通の人が経験する思い出を作ることが出来なかったので、病気を克服した今、こうして笑ったり、食べたりすることで出来て、嬉しく思います。

このように楽しい時間を過ごせたのも、スタッフの皆様一人ひとりが準備やおもてなしといったホスピタリティ溢れる接客をしてくださったおかげです。ホテルを利用している方はいろいろな思いを持って、足を運んでいる方もいらっしゃると思います。また来たいと思うホテルに来ることができて、本当によかったです。今度は家族や友人を連れて、個人的にも利用したいと思っています。スタッフの皆様に心より感謝いたします。

{%女の子オレンジdeka%}akane 北海道在住(20歳)

伊豆高原のホテルには2年前にもお世話になりました。私は 17歳の時に急性骨髄性白血病を発症し、東京、新宿の病院で治療を受けて治りました。

それから北海道に戻り、調理師の専門学校へ通い、資格をとり、イタリアンのカフェレストランで働いていました。しかし、去年の9月に再発し約8か月入院をしました。札幌の病院で臍帯血移植をして、治療も順調に進み、 退院したのは今年の6月5日でした。入院中は、脚や腕などに湿疹できて、嘔吐、皮膚のひび割れ、眼の乾き、水下痢、発熱、目の痛みやドライアイに悩まされました。私は食べることが好きだし作るのも好きです。そんな私が抗がん剤治療を受けて一時期、味覚障害になりました。味はしないし、口の中が常に薬品(投与しているものの匂いなど)味がして、食欲もなくし、食べ物がのどを通らず、高カロリー輸液を点滴で補っていたこともあります。そんなときは、テレビでグルメ番組や食べ物を見ると、吐き気がしてテレビをつけるのが怖くなってしばらくつけないこともありました。物がたべられないので、体力も落ちて、ベッドの上に数分座るということすらできませんでした。トイレだけはなんとか移動しましたがそれ以外は常に横になっていました。 体力的にきつかったのが吐き気で、1日に何度も吐いくので胃も痛くなり、私はもう美味しいものを美味しく食べることが出来なくなってしまうのかと思うほどでした。

また、抵抗力が落ちて感染にかかりやすいために面会の制限が厳しく、友達や職場の人にも会えませんでした。退院した今もすっかり元気になったわけではなく、通院しながら、自宅療養をしています。ですから、まさか今年も伊豆高原に行けるなんて思いもしていませんでした。がんばれ子ども村のお計らいで、豪華なホテルで、私のような癌を経験した子供たちや、お父様お母様とお話しや交流ができる場を設けてくださりありがとうございました。

夕食も素敵なご馳走が出てたくさんいただきました。とても美味しかったです。 私はイタリアン調理の世界へ進んでいきたいので、盛り付けなども、とても勉強になりました。

それから、手作りのパウンドケーキとビスコッティを受け取っていただきありがとうございました。 今年もありがとうございました!そして飛行機代を負担してくださったNPO遊びのボランティアさん、ありがとうございました。

{%男の子ロン毛deka%}3歳児の母

この度は、素敵なホテルにお招きいただきましてありがとうございました。皆様の細やかなご配慮と美しい自然の中で、とても有意義な時間を過ごすことができました。オムツをどこに捨てたらよいか聞かなければと思いながら、部屋に着くとトイレにオムツボックスが用意されていて大変助かりました。細やかなお気遣い大変嬉しく思いました。

お料理があまりに美味しくて、図々しくも飲みすぎてしまい反省しております。

まだ三歳になったばかりの息子にまで、立派なお料理をご提供頂き、感激致しました。

息子は骨髄性急性白血病という病気を患い、七ヶ月間闘病しておりました。退院して一年半が過ぎようとしています。リラックスした雰囲気の中で、当時を振り返り、皆で不安や苦しみを分かち合い、未来を語り、勇気をもらうことができました。同じ病気で苦しんだご家族と、そして病気をした当人とこのように話せる機会が無かったので、稲葉様、スタッフの皆様には掛け替えの無い時間を頂きました。心より感謝しております。

大自然の中、大声で笑い、走り回る元気なちびっ子を見ていると、胸がいっぱいになりました。再発の心配はありますが生死をさ迷う、大病をしたのが嘘のようです。

息子は大きなお風呂に、大喜びでした。翌朝、私が「お風呂行くよ~」と言うと飛び跳ねていました。朝日が射し込むお風呂は、子どもながらに気持ちよかったのでしょう、中々出たがらずに顔を真っ赤にして、鼻の頭に汗をかいていました。

私事になりますが、息子は少々発育に遅れが出てきています。発育クリニックのドクターは言います。

「何か意味のある単語を発しますか?」

グーチーパー、チッタッタ、親にとってはどれも意味のある言葉ですが、言葉の先にある行動につながるものが意味のある単語のようです。

旅行から帰った夜、私は無意識に「お風呂行くよ~」と言いました。

息子は「おーぶーぼ、おーぶーぼ」と楽しそうに飛び跳ねました。

息子ははっきりと「お風呂」という単語を発してくれました。楽しかった時間、大浴場が鮮やかに蘇りました。きっと息子も同じです。

一泊ではありましたが、こんなにも充実した旅行は初めてでした。息子は『お風呂』という、意味のある単語を発するという驚きの成長を致しました。言葉にならない喜びでいっぱいです。皆様のおかげでございます。本当にありがとうございました。影ながらではございますが、皆様のますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。

3歳坊やの笑顔ぴかぴか

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{%女の子ブラウンdeka%}三上 史(遊びのボランティア) 

日本女子大学家政学部児童学科4年

 伊豆高原の旅行に初めて参加させて頂きました。参加している子ども達の第一印象は「元気!」というものでした。サッカーボールを蹴りながらホテルの周りを散歩している時にも,子ど

も達はいろいろなものに目を向けながら散策をしました。セミの抜け殻を集めたり,蜘蛛の巣が太

陽の光に照らされて光っているのをみんなで見てみたり。普段の生活では見過ごしがちなことに目

を輝かせている子ども達を見て,子ども達の貴重な夏休みの思い出を,ひとつ増やすことのお手伝

いができてとても嬉しかったです。

 入院をしていた頃,一日のほとんどを病室のベッドの上で過ごし,病室からなかなか出られない生活を送ってきた子どもたちにとって,このような自然の中での体験はとても貴重なものです。小さな窓枠の限られた視界からしか外の様子を見られず,家族との面会時間にも制限があるために孤独な中で病気と戦わなければならない。また,入院生活が長くなるにつれ,闘病のつらさからだんだんと大人に対して当たりが強くなっていったり,心を閉ざしてしまったり,入院したことで笑顔が徐々に減っていき,なかなか笑っている表情を見られない子どももいます。た。しかし,そんな入院生活を小さな体で頑張ったからこそ,今こうして子ども達は元気に過ごせています。 2日目の朝,家族のみなさんのとても楽しそう

な笑顔は,入院中からは想像もつかない程に穏やかな時間を過ごされたように思いました。