病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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コーディネーターの役割

2014年10月4日土曜 

以下ガラガラドン第1週目の週リーダ佐藤さんと木村君と坂上のやりとりです

時系列で並べました。

次々にキャンセルや参加者が変わり、1回のボランティアコーディネーターはその調整にかなり苦労をしています。このような調整がボランティアグループにはつきものですが、佐藤さん木村君ががんばってくれています。ボランティア活動を継続させるにはこのような調整が不可欠です。坂上

主な内容

①10月2日木曜 18:35佐藤→坂上 「今週の活動の前に事務所のおもちゃを病院に運びます。行ける方は、1 時に事務所集合

②10月2日木曜 18:35 佐藤→坂上 Aさんのメール通じません。これで合っていますか?

③10月2日木曜 18:40 坂上→佐藤 Aさんには私が確認します。

④10月2日木曜 18:40 坂上→今泉 電話で確認

⑤10月2日木曜 18:42 佐藤→坂上今週はABCDEFFGHIJKの11人の予定です。

⑥10月2日木曜 18:42 佐藤→坂上 お手数おかけしてすみません

⑦10月2日木曜 18:50 佐藤→坂上 Bさんも〇の事情でお休みだそうです

⑧10月2日木曜 19:32 木村→坂上 Cさん 休み、確認とれましたら教えてください。

⑨10月2日木曜 21:12 佐藤→坂上 さらに追加連絡です Dさんお休みで4週目に振り替えです。Eさんも×の事情で3週目に振り替えと連絡ありました。

⑩10月2日木曜 21:12 坂上→佐藤 いろいろありがとうございます。

⑪10月2日木曜 21:20 木村→坂上了解しました。

⑫10月3日金曜 22:22佐藤→坂上 明日、Fさんが仕事でお休みです。振替は未定です。Gさんが第2週の振替で参加されます。何度もすみません。

プレイルーム新設に伴う応援者たち

2014年10月5日

前回、プレイルームのオープニングセレモニーのことを報告しました。

4年間、新病棟にはプレイルームがありませんでした。待ちに待ったプレイルームですが、しかし、それはプレイルームという空間だけです。子どもたちがここで集まって遊ぶのに必要なおもちゃ、テーブル、椅子、そんなものがありません。そこでNPOではいろいろな方々の協力を求めました。プレイルームの環境が整うまでにガラガラドンは何度も病院と話し合い、助成金を申請し、寄付を募りました。今振り返ってみて、病院機能評価にあるように病院が地域に貢献し、地域住民に開かれてあることはこういうことではないかと思っています。代表坂上

NPOが申請をして協力を得たのは次の3団体です。

① 共同募金34万円 ②三井住友ボランティア基金から10万円 

③北川奨励賞からおもちゃ代30万円 

①共同募金と三井住友ボランティア基金で備品を揃えたもの

「子どもたちが使うテーブルや椅子やソファ」「赤ちゃんが這い這いできるプレイマット」

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②北川奨励賞からおもちゃ代

「子どもたちが喜ぶおもちゃの数々」

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助成金を受けたことを明記しました」

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新プレイルームまでの動き

2013年11月19日 

病棟医療より、来年プレイルームをオープンするのでボランティアさんも協力してほしいというメールを受け取る

2013年11月26日 

小児病棟で、スタッフとボランティアの打ち合わせ 参加ボランティア4人 医療スタッフ2人

内容 新病棟におけるプレイルームは5月を目指している。これから工事がはいる。どんなプレイルームにするか、備品なども何もないので、何かいい案があれば欲しいので一緒に考えて欲しい

 

2013年12月6日

ボランティア2人とドクター2人と近くの子ども家庭支援センターを見学 プレイルームの参考にする。

2013年12月9日

プレイルーム準備委員会を立ち上げる メンバーは佐藤、古賀、斎藤 坂上 

今から応募できる助成金をインターネットで検索して探し、応募する

応募先は 「共同募金」 「北川奨励賞」 

 

2013年12月24日

小児病棟で打ち合わせ 参加は病棟スタッフ、医師、ナース プレイルームのデザインを研究している千葉大学の先生と院生とガラガラドン 合計8人 共同募金と交渉中の報告をする

2013年12月26日 

病棟スタッフと打合せ 共同募金の申請内容と見積もりを作成して病院に提出

ドクターより病棟のプレイルームの見取り図をもらう

NPO申請書類は1、みつもり、2、みつもりの元になるカタログの提出3、申請団体の役員名簿4定款 

5パンフレットや通信など6、プレイルームの見取り図 7、病院との打合せの記録(急きょ作成したものを貼付) 

2013年12月25日北川奨励賞提出 決定通知は3月20日

2014年1月7日共同募金申請 決定通知は2月12日

2014年2月4日プレイルーム準備委員会がおもちゃ選び中野あぷてぃへボランティア3人

2014年2月4日プレイルーム準備委員会がおもちゃ選び新宿おもちゃ美術館へボランティア2人

2014年3月26日奨励賞の授賞式坂上出席 全国決定54団体の応募者から8団体が受賞

2014年3月31日 プレイルーム準備委員会がクレヨンハウスでおもちゃ購入

 工事が5月予定がおくれ、9月10日にオープン式を迎えた

 

新病棟でプレイルームオープン

2014年9月10日(水)12時半~14時  ガラガラドン5人参加( 山内 佐藤 古賀 斎藤 坂上) 準備は11時半開始 参加者 こども15人 付き添いの家族7人 医療スタッフほか関係者ら50人程度 プレイルームオープン 
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みんなが集まって遊べる部屋
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ボランティアの遊びコーナー①
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手作りうちわ 郁子さんコーナー
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プレイルームオープン参加 明るく、広々とした空間で魚釣り、ボーリングをして笑い合う子どもたち。点滴の間をハイハイする赤ちゃん、驚くほどの完成度の高いイベントで看護師さんたちの下準備の力に心より称賛の拍手をおくります。山内 待ちに待ったプレイルームのオープン。セレモニーはいつもと違う華やいだ雰囲気。 忙しい勤務の間をぬって準備された担当の皆様に拍手!! 今日は学童のこどもさんも多く入院されていて、遊びを楽しめてよかったです。 プレイルームは千葉大学大学院、こどもの入院環境を考えるNPOの協力で完成。私たちも助成金申請、玩具、備品購入と色々な専門家が協力して「こどもの幸せ」を考えるって素敵ですね。 ご挨拶のなかで院長先生が「入院中でも普通の生活ができることが大切」とおっしゃっていたことを、とてもうれしく思いました。ハイハイで動き回るお子さん、ベットの中だけではできない遊びができるように、使用可能の日が待ち遠しいです。古賀 一面ガラス張りの明るいプレイルームに、入院中の親子さんが集まり始めました。きれいに飾りつけられ、新しい椅子やテーブルも揃いました。いよいよ、3年もの間待ちに待ったプレイルームのオープンです。 「おめでとう」というくす玉を割って、夏祭りの始まり始まり。子どもたちに色を塗ってもらった魚釣り、ペットボトルで作った輪投げやボーリング、割り箸鉄砲の射的、色を塗ったりシールを貼ったりして作るうちわやお面、すべて手作りの温かい会になりました。 浴衣を着て来てくれた女の子、自由にハイハイしている赤ちゃん、よちよち歩く男の子、元気いっぱいの小学生男子、黙々とうちわを作っていた小中学生女子。 小さなベッドの上で過ごしていた子どもたちは、自由に動き回れるスペースが嬉しそうで、皆それぞれに楽しんでいました。このプレイルームが今後、入院しているお子さんと付き添いの親御さんにとって、大変な入院生活の中で一時の息抜きの場、出会いの場となるように願っています。 看護師の皆さんはご準備大変だったと思います。お疲れさまでした。 佐藤 小児病棟の子どもたちは、昼食が終わり次第プレイルームに集まってきました。医師・看護師・他たくさんのスタッフが揃い、オープンセレモニーが始まり、院長先生の挨拶では「プレイルームは、子どもたちの健全な人間関係と精神発達を促す上で、とても重要な役割を持つ」と話されました。子どもにとって、いかに『遊び』が大切か、セレモニー出席者全員が改めて感じていたと思います。 プレイルーム“わくわくの森”には、6種類の出店が並びました。中学生の女の子は、(補聴器を付けていた為、周りの様子を不安そうに見ていましたが)側で見守っていると直ぐに笑顔になり、楽しそうにうちわ作りやお面作りをしました。小学校中学年の男の子は、「俺はこんな遊びしないよ~」と言いながら、スタッフに声をかけられながら誰よりも楽しそうに(^.^)射的や輪投げをして、最後までプレイルームにいました。おばあちゃまに抱かれた乳児の男の子も、魚つりや様々な遊びに参加していました。ベッドで移動してきた男の子も、スタッフと一緒にボーリングや射的をして、とても素敵な笑顔を見せてくれました。10人前後の子どもたちが、プレイルームを訪れ、スタッフ手作りの出店に大喜び、とても楽しい90分となりました。こうして、プレイルームオープンの日を迎えることができたことに大きな喜びを感じますプレイルームオープン♪♪バンザーイ!! 斎藤

大学院生やってます

 

武蔵野大学大学院人間社会研究科実践福祉学専攻 修士課程2年 坂上和子(60歳)

入学式には孫もきてくれました

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2014年9月9日 遅ればせながら大学院の中間報告をします。

この大学は働きながら通えるように18時半から授業が始まります。昨年春に入学し、今修士課程2年。大学院では最低30単位が必要ですが、1年で8割ほど単位を取得しました。去年は週5日、毎日通い、猛烈にしんどかったです。レポートの提出では、先生に「これ、レポートじゃありません」ってつっかえされたりなんかして、ヒイヒイいっていました。

今は修士論文が佳境に入ったところです。「子ども病院におけるボランティアコーディネーターの役割と課題」これが私の研究のテーマ。

このテーマにたどり着くまでも紆余曲折があったのですが、それを話し出すと止まらないので今回は省略。

全部の子ども病院をまわるのはとても無理なのでそのうち小児がん拠点病院に指定された5つに絞りました。このうち、コーディネーターという肩書きもっている人は二人だけ。他は兼任ですが、兼任職員にもインタビューをしました。インタビューはすごく勉強になりました。頭で考えていることと実際に現場にいって、聞いてくるのとでは全然違うんだなあと改めて感じたことです。

インタビューに関しては一部を除いて、すごく協力的。「よく、聞きに来てくれましたねえ」ってウエルカムムード。こっちも身を乗り出して聞いてしまいました。子ども病院にどんなボランティアが何をしていて、コーディネーターはどんな仕事をしているか、みなさん、知りません。なぜなら、先行研究がないからです。こども病院には遠くから難病の治療のために通ってきている家族が多くいます。長くなるほど、病院は生活の場です。過ごしやすく、癒される環境作りのためにたくさんのボランティアが働いています。そのボランティアたちが働きやすい環境を整えていくのがコーディネーターの仕事です。今回話を聞いた専任のコーディネーターさんは、二人とも前任がおらず、「私が初めてなんです」とおっしゃっていました。

5つの子ども病院はいずれも300床を超える大きな病院なので、ボランティアの数もかなりな数です。問題が起きたときの対応、安全対策、リスク管理など気をくばりながら、一方で、無償で働くボランティアへの気配り、モチベーションを高めることも大切で、なかなか難しい仕事だと思われます。高度医療の子ども病院で暮らす子どもと家族のために、ボランティアコーディネーターがその役割をどのようにして自覚していくのか、そのプロセスに焦点をあてて、研究します。二人のコーディネーターさんには共通の輝くオーラがあって、仕事をとても楽しんでいました。そのエネルギーに圧倒されました。この方々のエネルギーはどこから来るんだろう?元々エネルギーのある人が着任したのか?それともエネルギーが湧いてくるのが子ども病院ってとこなのか?

研究で大切なことは、この研究が社会にとって意義がある、役に立つかということです。私は全国のこども病院にたくさんのボランティアがいて、子どもたちやお母さんたちに幸せを運んで欲しいと願っています。そのためにコーディネーターはとても重要な役割があり、論文でそれを明らかにしたいと思っています。

ところで、聞いた話をどうやって論文としてまとめるのか。ここが一番肝心なところです。分析方法はグラウンデッドセオリー法という質的研究法を用います。この研究会にも足を運びながら、いよいよこれから分析に入るところです。登山で言えば5合目くらいでしょうか。この先から一気に急峻な登りになるような感じ。年も年だし、油断せず、滑落しないよう、ガラガラドンの力を借りて、頑張って論文山に挑戦します。

以下1年時の履修科目

-1年前期の履修科目-9科目

月曜「社会福祉原理研究」

火曜「子ども家庭福祉研究」「社会福祉調査基礎演習」

水曜「ソーシャルワーク研究」

木曜「スーパービジョン特論」

金曜「チームアプローチ・ケアカンファレンス・ファミリーソーシャルワーク特論」(ターム)」「医療福祉研究」

-1年後期の履修科目- 6科目

火曜「コミュニティアプローチ特論」「グループワーク特論」

水曜「組織マネジメント特論」

木曜「子ども家庭福祉事例研究」

金曜「ファミリーソーシャルワーク特論」「医療福祉研究」

      

通院時の付き添い支援‐ママに寄り添う

2014年、この夏からりく君の通院時の付き添い支援を始めました。  (この内容は家族の方に見てもらって掲載しています) 支援までの経緯 りく君は現在2歳半の坊や。一人っ子。1歳で白血病と診断され、約半年入院し、その間、遊びのボランティアの支援を受ける。1歳半で退院。今年春、2歳で1歳半検診受診した。その際、1歳半の行動がひとつも出来ておらず、発達の遅れを指摘される。「子どもの発達に詳しい坂上先生に一度、見て欲しい」と相談を受ける。保育士の古賀恵子さんと親子のための発達相談日を設け、その結果、月に1度の通院時の付き添い支援を開始。 入院中にりく君とクリーンルームで遊ぶ古賀さん
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2014年7月17日 初回の付き添い 13:30~15:20 古賀 保育士 {%病院webry%}・小児科待合室のプレイコーナーで   ママと小児科外来の待合室で1時半に待ち合わせをしました。待合室には小さなプレイコーナーがありますが、自分で椅子から降りてプレイコーナーへ行き、壁に貼った何色かの四角いクッションの真ん中にボタンのように小さな丸があり、一つずつ指で押して、へっこむのを楽しんでいました。パトカーと消防車の絵がついた椅子があり、私が指差して「パトカー ピーポーだね」「消防車ウーカンカンだね」というと「ピーポー」と真似ていました。「ピーポーって初めて言った」とママ。言葉らしきものは採血後の「イヤーイヤー」くらいだけど、大きな声のなん語でのおしゃべりは聞かれました。持って行ったアンパンマンのボールを出すと、上手に転がしたり受けとったりしていました。ママから引きはがされ大泣きの採血では、ママがどんなに切ないか…。採血室のそばで待っていたらママの顔が険しくみえました。終わって泣きじゃくりながら「イヤー」と言うりくくんをしっかり抱き止血をするママ。落ち着いたところで、児童公園に気分転換に移動しました。 {%サッカーwebry%}・児童公園で まずはブランコへ、しばらく乗っていました。「止まったらどうするかな?」押すのを止めて二人で見ていました。動かしてと要求はせず、私が「足をのばしてーまげてーってすると動くよ」と腕を使って のばしてまげて を見せたからかな?ですが、自分の足をバタバタさせていました。「滑り台しようか」と声かけすると、すんなり降りてきて、まずしゃがんで砂利いじり、嫌がらずに砂利に触れていました。 滑り台は8段くらいあり、結構高さがありましたが、登りは上手に手足を動かしてスイスイ登れます。滑るのは怖いのか、足をまげてつっぱりスピードが出ないようにしていました。「りくくんもう一回」と声をかけると応じていました。  今日は砂利、小石、水に興味をもち、手を洗いに行くとぬれた手を地面に押し付け砂利だらけの手を見たり、手洗い場の下の排水溝の穴に砂利を落としポチャっと音がするのを繰り返したり、私が枯れ枝や、雑草の葉っぱをちぎり穴に落とすと同じようにやってみる模倣遊びが見られました。 時間になり、病院のそばで別れました。公園で遊び、病院に戻りおむつを替えて「今日もよく頑張ったね」のご褒美ケーキを食べ終わると、採血から2時間くらい、丁度診察の順番が来る時間になる。これが月一回診察日の流れだそうです。 付き添い支援開始理由 今年6月半ば、りく君ママから坂上宛てにメールがきました。メールには、りく君が一歳半検診をうけた際に言葉が出ない、笑わない、目が合わない、「お母さんが自閉症を心配されているならと、発達障害の子ども療育施設を紹介された。子どもの発達に詳しい坂上先生に一度みていただきたい、そういう内容でした。 翌週、保育士(ボランティア)の古賀さんと一緒に事務所近くの公園で会いました。お母さんの話をしっかり聞くには、子どもの遊び相手も必要だからです。 古賀さんは入院中にりく君と何度も遊んでいました。「元気そうね。りく君、髪の毛もふわふわ~、ふっくらしましたね!」、とママに話しかけました。りく君はブランコにまっしぐら。「ブランコが大好きで、30分でも乗っているんです」とママ。古賀さんが途中でママと交替して、りく君のお顔を見ながら、「い~ち、にい、さん、しい、ごお…じゅう」と歌いながら数字をかぞえてやりました。ブランコを大きく揺らしてもらって嬉しそう。ママが「ブランコを止めると手をぎゅっと握って、おりたがらないんです」。「だったら怒った顔もみたいねえ」、しばらくしてから止めてみました。そのとき、古賀さんが、りく君のアンヨの靴の上に小石を載せると、りく君は足を振って石を落としました。片方の足にも小石を載せてやると、同じことをしました。またやってと古賀さんにアンヨを差し出すりく君。古賀さんが小石をのせ、りく君が石を落とす。その一連の流れの中で、石を振り落すとき、古賀さんが「ぽろり」と言うと、それが大受け。「ぽろり」「ゲラゲラゲラ」「ぽろり」「ゲラゲラゲラ」、りく君、いつまでも笑いが止まりません。その様子を見た私が、「あんなに声を出して笑っているのに自閉症、心配なの?」するとママは「家では、こんな顔、見せないんですが…」 この日は、公園で40分ほど遊んで、その後、雨が降ってきたので事務所に移動しておしゃべりをしました。ママはまだ保育園や幼稚園に通えないこと、友達とめったに遊べず、子どものいない時間帯に、親子だけで遊んでいます、そんな話を伺いました。この日の夜、ママからメールをいただきました。 {%女の子ロングdeka%}{%メールdocomo%} 本日は色々ご相談にのっていただき、ありがとうございました。 不安もあったので、りくを見ていただき、随分気持ちが楽になりました。 私たちは、ママの不安がりく君に影響しているのではないかと思いました。近所に祖父母もいない環境でこれまでのママの数々の不安を思うと、それは無理もありません。1歳にさしかかる年齢は、歩く、走る、食べる、お話する、そういう発達の著しい年齢ですが、そんな大切な時期に、個室で7か月も。感染症にかかりやすく、個室から出られない日々がありました。抗がん剤が投与されると髪がぜんぶ抜けてしまったり、吐き気や下痢の症状が出て、起き上がれないときもありました。こうした環境で子どもが順調に育つことがどんなに困難なことか。そのため、ボランティアはおもちゃ、お絵かき、型はめ、音の出る楽器、いろんな楽しい遊びを(ひとつひとつ丁寧に消毒をして)運びました。調子がよいときは、ママに「一人でコーヒー飲んできて、外の空気を吸ってゆっくりしてきて」と言います。具合の悪いときは、ママもそばにいて、話相手をしたりします。病院では子どもの遊び相手だけでなく、親の休息の支援も大事なことなのです。 高度医療の病院で深刻ながんの治療中の親子をボランティアがサポートできるのか?そう考える人がいるかもしれません。しかし、ボランティアは実に多様なスキルをもつ人々の集まりです。古賀さんは公立の保育園に36年勤務し、保育園の園長まで務めた方です。私も長年子育て支援の現場にいました。現役の保育士、幼稚園教諭などもいます。そういうプロが中心になって、保育士を目指す学生たちも活動に参加しています。闘病中からの関係があるからこそ、こんな厳しいときに、メールを頂いたのだと思います。私たちは、公園で遊んだ様子から、通院時の付き添い支援を申し出ることにしました。 後日、それをママに伝えると、次のような返事をいただきました。 {%女の子ロングdeka%}{%メールdocomo%} りくは採血の後、泣きすぎて目、泳いでるかも。毎回、採血の度、小児科中、響き渡るほどの大声で泣きます…。ご相談のって頂きたいですが、忙しい中、わざわざ来てもらうの、申し訳ないです…。だいたい13時30くらいには採血終え、それから結果でるまで二時間くらい待ちます。採血終わったら、病院にいると可哀想なのですぐ外に出て、近所の公園など散歩で時間潰します。もし、この間、遊んでいただけると嬉しいです。 {%女の子ロングdeka%}{%メールdocomo%} 外来の日は、今でもドキドキします。りく、元気が目に見えるようになり、今こそ平気ですが、最初数ヵ月は結果聞くまで吐きそうだった…・ {%女の子ロングdeka%}{%メールdocomo%} 再発の恐怖に怯える日々です。辛いです。 一日が終わるたびに、一日が始まるたびに、ああ、今日も健康でありがとう。と感謝しますが、ふと、いつかいなくなってしまうかもと、 言いようのない恐怖に涙することもあります。 こうしたママの思いに、退院したら、「ばんざい」とばかりはいえない病気のきびしさを教えられました。 はじめての付き添いをした日、ママからこんなメールをいただきました。 {%女の子ロングdeka%}{%メールdocomo%} 7月17日こんにちは、いつも、ありがとうございます。古賀さんからも、別れ際、お母さんが良かったらまた外来の時に一緒に遊びますと、言っていただき嬉しかったです。昨日、採血前、小児科のプレイスペースで遊んでいるとき、古賀さんがりくにピーポーピーポーだねと、話しかけるとりく、ピーポーピーポー初めてと言いました。早速、家に帰り音の鳴るパトカー 出してピーポーピーポーだねと、指差してみると、ピーポーピーポーと言いながら車遊びしてました。パトカー=ピーポーピーポーで繋がりました。あまり、これまで車では遊ばなかったこともあり安心しました。りくにも変化があったので、お言葉に甘えて次回も連絡してみようかと考えてました。次回は21日です。来月になったらまた、古賀さんに連絡してみます。今日は近所の公園で砂遊びしました。ブランコより長かったのは初めてでした。ゆっくりですが、確実に成長してると思い安心しました。 2回目の付き添いの日は、8月21日でした。この日のママからのメールでは {%女の子ロングdeka%}{%メールdocomo%} 今日は、暑いなか、お付き合い頂きありがとうございます。 りくは再発なく、今回も無事クリアしました。しかし、免疫数値IGGはいまだに上がらず…・人混みは避けるように言われました。この一歩が長いです。あの後、小児科外来のプレイスペースで爆睡・・20分で起こされ、泣くかと思いきやご機嫌で、先生のもしもしもお口あーんも、素直にやってました。来月は9月18日木曜日となりました。また、お会いできたら嬉しいです。 「採血から検査結果の診察までの2時間くらいが一人だととても長くて、でも一緒にいてくれる方がいると時間が過ぎるのが早く感じました」とママはおっしゃいました。 小児がんの子どもの退院後の問題をりく君親子を通して、あらためて教えられています。行政にも病気の子どもの現状や退院後の支援の理解を求めていく必要を感じています。  保育士・社会福祉士 坂上和子

第5回目 伊豆高原1泊 小児がんを克服した子どもたち7家族をホテルが招待

5回目、「がんばれ!子供村」より「アンダ倶楽部伊豆東大室ホテル」へ8人の患児と家族23がご招待いただきました。6人のボランティアも参加しました。総勢29人が伊豆高原のホテルで食べて、飲んで、歌って、大はしゃぎ。子どもたちは病院では見たこともないような笑顔をふりまき、大人たちが、にこにこと見守っていました。応援ありがとうの声を紹介します。患者8人のうち、一人はネフローゼ。ほかは小児がんの治療を受けていました。第1回目から参加している家族もいますし、今年が初めての人もいます。 招待年  招待患児数  招待家族数(親兄弟)       合計 2010年  6            8                14 2011年  7            11                18 2012年  6            8                14 2013年  7            13                20 2014年  8            15                23   合計5回 34人          55人              89人 5年間の合計、延べ89人。1泊15000~20000円が提供されました。 全員集合
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あそぼう、あそぼう、
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おししいねえ 
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{%カエルwebry%}娘と私で今回も参加させていただきました。娘は毎年大変楽しみにしております。入院友達とは暫くのあいだは外来検診で会えていましたが、お友達の外来に行く頻度も減り、それに比例して会って遊ぶ機会も減ってきておりました。今回ご招待いただきお互い元気な姿を見て心置き無く遊ぶ機会をいただいたこと、とても感謝しております。娘はまだまだ病気、病院とは縁が切れませんが、来年また参加できるよう頑張っていくと思います。本当にありがとうございました。小川(母) {%チョウチョwebry%}今回は昨年とは違うホテルにご招待いただけると聞き、娘も私もとても楽しみにしていました。暑い中、到着したロビーでは冷たいラムネをいただき汗も疲れもすーっと引いていきました。お部屋も素敵で、夕食も沢山のご馳走!子供がいるのも忘れて食事を堪能しました。あるママはお医者さんから「1年に1回は病院に検査にきてね」と言われたそうです。娘も2ヶ月に1度の通院で検査をして薬をいただきます。見た目は元気ですっかり治ったかに見えますが、やはり各々大病をしているので病院との縁は一生切れません。だからこそ1年に1度、皆で会えるこの旅行がとても有意義なものと今回、改めて感じました。個人でこういった企画をするのは難しいことです。企画をしていただいた、ガラガラドンの皆さん、素敵なホテルを提供していただいた、がんばれ子供村の皆様に心より感謝申し上げます。ゆきの母 {%ピカピカwebry%}3回目の参加ですが、毎年、両親、兄弟まで招待して下さり、大変感謝しております。スタッフの皆様も、とても親切で気持ち良くゆったりとした時間を過ごすことができました。ボランティアの皆様も、子供達とたくさん遊んで頂き、ニコニコ、キラキラした子供の表情を見て嬉しく思いました。素敵な時間をありがとうございました。母M {%ライオンwebry%}アンダリゾートホテルの皆様、坂上サン、今回も招待していただき大変ありがとうございます。この招待旅行が子供達にとって、毎年とても良い夏休みの思い出となっています。入院中には絶対に見れない笑顔をみていると、とても幸せな気分になれるし、元気が一番大切なんだなぁと、あらためて思いました。来年も楽しみにしています。本当にありがとうございました。カズのパパ {%リボンwebry%}こんにちは。茜、19歳です。ご招待していただきありがとうございました!二年前に急性骨髄性白血病になり北海道から東京の病院で治療を受け、周りの方々に支えられて今は元気もりもりです。私は今、北海道のカフェレストランで働いています。今回そちらのホテルでディナーをご馳走になったのですが、とても感動しました!見た目も綺麗でオシャレだしボリュームもあって美味しいし最高でした。私もこんな素敵な料理を作れるようになりたい、もっと頑張らなきゃと思わされました。ホテルのお部屋もシンプルでかっこいいし、温泉も気持ちよかったです。それと温泉に色んな種類のシャンプーを用意してくれてありがとうございました!どれも初めて使うものだし、どれにしようかなと迷う感じが自分の中では幸せでした。今回はこの一年の中で、一番刺激的で素敵な思い出を作ることができました!本当にありがとうございました!(^o^)/ {%笑いwebry%}今回は「がんばれ子供村 夏休みリゾートホテルご招待」にお招きいただきありがとうございます。たくさんの子供たちと共に夏の思い出を作ることができました。僕は、中学2年~高校3年まで小児がんにかかり、入退院をくり返しながら闘病生活を送っていました。10代のほとんどを病院で過ごし、学校に行くことも遊びに行くこともできませんでした。夏休みに出かけたり、旅行に行ったり、思い出を作ることが出来なかったのが心残りです。 今回「アンダ倶楽部」からの招待をいただき、病床で得られなかったことが実現できて本当にうれしく思いました。一緒に参加した子供たちも元気いっぱいに遊び、たくさん食べて自然と笑顔になる瞬間が、僕にとっての良い思い出となりました。 遊んだり、おいしい食事をいただいたりと、誰もが経験できるあたりまえの事ですが、入院生活では普通に過ごすことができなかったので、部屋で休んで、食事が食べられることが本当に幸せだと身にしみて感じることができました。スタッフ1人1人の丁寧なおもてなしも日々の業務の努力が伝わってきました。1泊2日とあっという間な時間でしたが、限られた時間の中で充実した思い出ができました。また来たいと思える場所ができたので、次回は個人的に家族や友人を誘って利用したいと思います。今回はこのような機会を与えてくださり本当にありがとうございます。改めて、「アンダ倶楽部伊豆東大室」のスタッフの皆様、当日までの準備等心より感謝申し上げます。 これからも皆様のご活躍に期待しております。 平成26年7月31日 之宇 ボランティアより {%万歳webry%}おかげさまでゆったりと楽しい時間を過ごすことができました。ご厚意に心から感謝申し上げます。私は元気いっぱいだった娘が突然脳腫瘍を発症し、約1年の闘病を経て天国に見送るという体験をしました。今年で丸3年になります。今回お招きいただいたご家族のように病気を克服してあるいは治療を続けながら一日一日を丁寧に過ごしているご家族のような時間を持つことは、我が家にとっては叶わないことでしたが、ボランティアになってから、このような機会を頂き、皆で一緒に過ごせたことはとても大きな意味のあることでした。3年前に娘を見送り身体が壊れそうなほどの喪失感の中、どん底から何とか這い上がろうともがき苦しんだ日々の中で、周囲の人に支えられ、ボランティアを通じてたくさんの方々と出逢いました。出逢った方々からもらった温かい言葉や笑顔の一つ一つが大きな力となりだいぶしっかりと前を向いて歩けるようになっていました。今回あたたかくおもてなし下さったホテルの皆さんの笑顔からも元気をいただきました。本当にありがとうございました。   阿部こまき {%チョキwebry%}今年で5回目の参加です。来ている子どもたちは、私がボランティアで白血病の厳しい治療をしていた様子を目の当たりにしていた子たちです。それだけに、幼稚園生だった子が小学校の高学年になったり、小学生だった子が来年は高校生になる。とても感慨深いものがありました。お金という寄付も嬉しいですが、このような場を提供してくださる支援もとてもありがたく、今も通院治療をしているある子どもにとっては、この旅行に毎年行くことが辛い治療を乗り越える希望になっています。自分も8年前に白血病になり、すべての人が白血病が治るわけではなく、亡くなっていく病気でもあることを知っているだけに、毎年白血病の治療を終え、元気に成長している子どもたちと一緒に遊べることを本当に感謝しています。ありがとうございます。岡部梨沙 {%クローバーwebry%}息子と2人で参加させていただきました。昨年に続き2回目の参加です。ゆっくりとくつろげるお部屋と温泉、豪華なお食事をいただき、つかの間の非日常を味わわせていただきました。夕食後はボランティアの部屋に集まり、小学生から社会人まで、帰りの時間を気にせず皆でゲームやおしゃべりを楽しむことが出来ました。小学生のちびっこまでが、「全然眠くない!」と頑張って遅くまで起きていて、朝も早起きして、まさしく寝る間も惜しんでという感じで遊んでいました。みんな楽しくて眠る時間ももったいないのでしょう。子どもたちの本当に楽しそうな笑顔を見ると、皆がこの旅行を心待ちにしていたことが手に取るようにわかりました。毎年つらい治療を乗り切った患者さんご家族を笑顔にして下さる温かいお心に、心から感謝致します。ありがとうございます。  佐藤みどり {%拍手webry%}朱之宇くんは中学2年生から十代のほとんどを病院で過ごしました。「友達が高校受験の話をしているけど、ぼくには受験資格がない、通知表の出席数が足りないんだ」と、クリーンルームで話してくれたことを覚えています。その朱君が、もりもりとごちそうを平らげて、ぴかぴかの笑顔を見せてくれました。今は介護福祉士として常勤で働いています。茜ちゃんも、2年前、病院にいました。北海道から、見知らぬ新宿で約1年、闘病しました。今は北海道で調理師資格を得て、社会人になりました。今回参加した8人の子どもたちは病室から一歩も出られず、抗がん剤の副作用に耐えながらがんばってきた日々がありました。そして今も通院が必要な子どももいます。そんな子どもたちに出会いの場をご用意してくださっている子供村の皆様に、感謝の言葉がみつかりません。坂上和子 がんばれ子供村http://www.kodomomura.com/ 「子供村ブログ」をご覧ください。

坂上和子さん 還暦祝い

坂上和子(60歳) プロフィール 保育士・社会福祉士 認定NPO法人病気の子ども支援ネット遊びのボランティア理事長。 1954年7月12日 大分県別府市生まれ。10歳から19歳まで扶助者聖母会の児童養護施設カトリックにシスターに育てられる。1977年上智専門学校卒業。同年~2003年まで新宿区立保育園、障害児通所訓練施設、子ども家庭支援センターに勤務。2005年明治学院大学社会学社会福祉学科卒業。 1991年に国立国際医療研究センターに遊びのボランティアを立ち上げ、2006年にNPO法人となる。現在、武蔵野大学大学院人間社会研究科実践福祉学専攻修士課程2年。
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日時 2014年7月12日 会場 新宿区四谷「ラインガウ」 参加 ガラガラドン12人  逐語録作成 能澤 (カッコの発言は坂上さん) 村上:大阪在住 こどもホスピスプロジェクト職員 坂上さんおめでとうございます。 (ありがとうございます。はるばる遠くから)あのー、何年前ですか?坂上さんと、5年前でしょうか?本当に楽しいその後を過ごさせてもらっています。現在もこれからも。これからもぜひいろいろ応援してください。よろしくお願いします。おめでとうございます。(村上ちゃんも応援してあげないといけないね)よろしくお願いします。 能澤:お茶の水女子大学大学院生 おめでとうございます。(ありがとうございます。)この前まで全然60歳になられるだなんで知らなくてすごい(70かなって思った?)いや、そっちじゃなくって。逆、逆,そうそう。いやもうだから、そんなお年いかれてただなんて、なんて言えばいいかわからない。驚きました。えっと、修論一緒にがんばって書きましょう。(がんばりましょう。)おめでとうございます。(ありがとうございます。) 阿部:保育士挑戦中 坂上さん、お誕生日おめでとうございます。(ありがとうございます。)ステキな60歳で、いやー、でも歳を重ねるごとにオーラが増して輝きが増してエネルギーが増すってすごいと思って、たぶん、これからどれだけ増していくんでしょうって。ステキな代表の元でボランティアできること、ほんとに光栄に思っています。わたしたちをつなげてくださってほんとにありがとうございますー。これからも、こんな不束者でございますがこれからもよろしくお願いします。おめでとうございます。 山中:保育士挑戦中 おめでとうございます。坂上さんよりマイナス10歳です。通称キコと言います。あの、夫が転勤族で全国いろいろ回っていましたが、今年の秋に目白にやっとマイホームを建てまして、事務所から近いのでもうちょっとお役に立てればと思っております。(さっき大和田とか言ってなかった?)今はそうなんですけど、秋に学習院の裏に家を。(かっこいいー)で、あの、保育士試験がんばります。(がんばってください。でもどうする?3人のうち1人しかうからなかったら)大丈夫。みんな受かりますので。 佐藤:アロマセラピスト 坂上さんお誕生日おめでとうございます。(ありがとうございます。)まさしくボランティア活動のある今日がお誕生日だなんて、やっぱり坂上さんすごいんだと思います。あたしも坂上さんみたいに元気な60歳目指して精進しようと思っています。(じゃあ大学院にも来てね。)ステキな1年にしてください。おめでとうございます。 岡部:NPO会計係り 誕生日おめでとうございます。60歳って聞いたとき正直びっくりして50代かなって思ってて、坂上さんとはいろいろお話させていただいてて、活動もたぶん6、7年、あんまもう記憶にないんですけど。記憶にないくらいで。でも坂上さんを見て、すごい刺激的で自分もまだまだ新しいことチャレンジしてもいいんだなっていうのをいろいろ感じさせていただけるので(してください)、自分もがんばらなきゃなっていつも思わせてくれて(がんばってます)がんばってついていこうと思いますこれからもよろしくお願いします。(ありがとうございます。) 田生:塾講師 坂上さんお誕生日おめでとうございます。まあちょっと連絡係とかやらせていただいて、この前もわたしのリーダーの週に坂上さん、いらっしゃらないことがあったんですけど、やっぱりその、みんなを連れてお部屋に入って行って、なんかすごいシーンと始まって。いつもだったら坂上さんが連絡事項、こうでこうでこうで、みんなを盛り上げるような話をして、それでじゃあ行ってこいって始まるんですけど、やっぱりちょっとそこら辺がほんとに。そういう毎回坂上さんが作ってくださってる空気ってすごい大きいんだなって思って、あ、だからこそみんなこうやって、環境とか年齢とかみんなバラバラなんですけども、こうやって活動の日が続いていくんだなってのもすごく思いまして。やっぱりそこに追い付くにはまだまだ全然足りないところばっかりだと思うんですけど、あの、引き続きみなさんの助けを借りながらがんばりたいなと思いますのでよろしくお願いいたします。(ありがとうございます。) 山本:小中学校副校長 坂上さん、おめでとうございます。(ありがとうございます。)60ということでいよいよ折り返し地点に、やっと折り返し地点に。坂上さんにとって今は半ばね、やっと折り返しであと60年。坂上さんすごいなって思うのは、私はもちろんこのバイタリティとかエネルギーとかすごなって思うんですけど、日々見ながら自分も立場が立場なのでマネジメントをね、今、坂上さんのマネジメントってのもすごい勉強になるなあって思うのと、いつも思うんですけど、なんかテレビとか取材とか来るのに、あのー、そこでこの構えないっていうか、(もうね、髪ぐらいとかしなさいって、パッパラパーでさ)でもなんかそこで例えばいいとこ見せようとしないっていうか、活動は活動でしょ?子どもありきでしょ?って。取材が来てるから、ちょっとパフォーマンスをしたりとかそういうことなくて「あ、取材来たの?いいわよ。適当にやって。聞きたかったらなんでも聞いて」みたいな感じで。「あたし~いってくるから」みたいな感じのところが、そこがすごいなって。やっぱり子どもありきだっていうところ。そこの、なんて言うのかな。こう大事なところがぶれないっていうのが一番すごいなって、日々勉強させてもらってます。はい。あと60年。(いやいや、あんまりね、きれいにね飾ったら、病院で子どもが輝いた日なんか、そうだったんだよね。後から見たら全然違う人じゃんって言われるから、できるだけその時は老けて見えるように汚く見えるように、そして現実に会ったら「あ、写真よりましだ」ってそっちがいいということがわかっただけ。全然そんな崇高なもんじゃないです。)あの、髪の毛は自分で切らないようにしてください。(今1000円カット見つけたから。三鷹にね。) 古賀:保育士 おめでとうございます。先輩はこの2人くらいだけですよね。あのー、やっぱり60というのは節目だと思うんですけど、あの、まだまだ、その坂上さん見てると、そのエネルギーのすばらしさっていうか、いやー、なんか、あのエネルギーの後について行きたいというかね、私は、朝日新聞の、あの、この活動の20周年の新聞を見て、あの、そこから繋がっていかれたんですけど、やっぱり、自分の経験から絶対病院の子どもに遊びをこう、一緒に遊ぶってことは絶対必要と思ってたのが、こう坂上さんに出会えてほんとに幸せだったなって思ってます。で、これからも、まあ微力ながら応援して、私のできることで支えになることがあれば、あの、お力になれればと思ってますのでよろしくお願いします。(えー、りくくんね、ママがね、自閉じゃないかって散々、悩んで見えたときにこないだ大笑いして、古賀さんと遊んで。で、それをビデオに撮っててね、3分くらいのビデオがあんだよね。みんなに見せんの。これが自閉なのって、お母さんにとってはそういうところあるけど、あの、古賀さんの手にかかったら、遊んでいるうち魔法がとけてゲラゲラゲラゲラ楽しそうに笑ってね。)笑ってくれましたねー。ほんとに。やったーですよ。(この子ちょっと自閉かなーってお母さんが心配そうにいうと、はいはいはいみたいな感じ、こっちのペースにパンって乗せて、もう自閉の魔法が解けちゃって、普通の子になって、りくくん、かわいいんだよね。古賀さんの力、見せてもらったんだよね。)いやいやいや、そんなことないんだけど、たまたまうまくいったって言うか。わたしも幸せな毎日を送らせていただいてます。 萬谷:理事 元新聞記者 どうもおめでとうございます。(ありがとうございます)ほんとにあのー,ぼくが会ったのはまだ30代?今思えば(そうそう萬谷さん60代だったもんね)若かったなあと気はしますけれども,でもほんとにNPO,これまでいつ潰れるか,まあ3年ももたないんじゃないかと言われながらもやってきたっていうのはやっぱり坂上さんのすごいパワーだと(いやいや仏様神様とキリスト様)ぼくはやっぱりガラガラドンを見ていますと,ほんとにみなさんのこう,いろんな方がね,集まってこられて、やはりあのー,地球上で50億とかなんとかっていう人がいて,でー,しかも一人の人生が,まあ100年も満たないような中でね,こういう出会いがあるということはすごいことだなあと思って,選べる訳じゃないんでね,出会いってのはやっぱり自分から選んでできることじゃなくって,やっぱりえー,なんと言うか,人間のはるか大きな力で,こうめぐり合わされてるっていうか,そういう感じが。やはりこのガラガラドンの20何年間見てますと,いろんな方がいて,なぜこの人がここに来られたのかなあという気も随分しますし,それはやはりあのー,すごいことだなと思っております。坂上さんにすれば,今あることをほとんど,まあ,目指してきたことでもないかと思うんですよね。彼女にしてみれば毎日毎日その目の前にある子どものことだけを考えて歩んできたんではないかなあという風な気がします。で,まあ雨の日も風の日もですね,暑い日もやっぱりたゆまずこう通い続けたっていうそのことがやっぱりちょっと,えー,僕にはできないことだなあと,そういうことですごく尊敬しております。まああの,今また大学院行って勉強するという,まあとてつもない無謀なことに挑戦してるわけ,まあ,ぜひその挑戦がですね,えー,やはり,彼女としてはやっぱり進まないわけにはいかないんだろうと思うんですよ。それでやってきた60年であったのかなあと思います。今日ほんとにみなさんに集まっていただいてほんのうちわですけれども,こういう、うちとけた,いい会が持てたということ嬉しく思っております。ありがとうございました。 坂上: えーと,今日2回目になる今泉さんって方が、お子さんを亡くされて、この5月に亡くされて,7月の5日と12日ですが、そういう人たちがまたガラガラドンに来て,また励ましあうような会になってきたっていうのは,なんか,こう一気になったんじゃなくって,あたし,今、仏教の武蔵野大学にいってるんだけど,その,えー,なんか輪廻というか縁みたいなものがあるんだなあって。じゃ,あたしの大事な縁は何かって言ったら,もう、ろくでもない家庭で育って,親代わりにこう,非常に親身になって子どもを育てて,健全な精神を自立できるようにっていうシスターたちがいらして,そのバックボーンがあるかなって。自分が子どもを生んでちゃーんと育てるのって大変なことなのに,結婚もしないで海外からやってきて戦災孤児をあのー,健全に,こうなんていうかな,あの,ぐれた子どもたちを、いい魂の持ち主にしようっていうような教育。そういう修道女たちがいたバックグラウンドがあって,だからあたしは山にも登った,音楽もやった,スポーツもやった,ものすごく、文化的に豊かな中に入れられて。だけど,貧しい家なんていうのはそういうのが一切ないからさ。酒びたりの夫がいて,いつも殴られる母がいて,いつも傷つけられている兄弟が縮こまってるっていう,それがあたしの中にはもうさ,児童養護施設っていうのは,外から見るのとは全く違う,宗教的な世界がバックボーンにあったわけよね。で,ここで育ったら、そうなっちゃうんだよね。やっぱり。あのー,その世界を受け継いでしか生きられないんだね。あのシスターたちは子どもに何やったかって言ったら,愛を伝え合うってことなんだ。で,あたしがやってんのはきっと,その理屈じゃなくて,ここに困ってるりくちゃんがいたら,このりくちゃんになんかしようってことが,一つ一つ積み重なってガラガラドンになるんだけど,今日は、えー,いっちゃんのママが来てくれた,今泉さんが来てくれた,宮崎さん来てくれた,村上さん来てくれたっていうところで,そこはそこで、子どもを亡くした親たちが、また病気の親子を支えようにするっていうのが,こう自然と,できてきてる,それがおそらくガラガラドンなんだけど,そういう支えあいって絶対できると思うんだ。自分たちにとってもそこが生きる非常にこう,力になるんだけど,親にとってもありがたい,看護師たちにとっても余裕が持ててありがたいっていうさ,そして社会にとってもいいっていうような。だからおもちゃ代だっておもちゃの助成金からもらってんだからさ。企業にも入ってもらう。そういう社会を築いていく、ひとつのモデルなんだ。で,今、あたし子ども病院の調査をしているんだけど,どこの病院もやっぱりね,ボランティア全然足りないのね。萬谷さん言ってるんだけど,ここがトップだから,他にはないよって。そうなのよ。ガラガラドンはね,そのモデルになっていて,で、これ、二度と現れないんじゃなくて,この遊びのボランティアってものをどこの病院にも実現できたら、みんながいいかなーっていうのが,ガラガラドンなのかなって。それを今日60歳のこの日にちょっと確認させてもらいました。どうもありがとうございます。