ラジオ深夜便でお話ししました
2015年5月7日AM4:00~4:40 「明日への言葉」-病気の子どもたちが輝く遊びを届けて-
NPO法人 病気の子ども支援ネット 遊びのボランティア 理事長 坂上和子
初めてラジオ番組に出ました。きっかけは、遊びのボランティアが東京新聞に掲載されたことによります(2015/1/20)。ある日、記事を読まれた方から、「活動について、お話を聞かせて頂けませんか?」と電話がありました。そして3月初旬、事務所にお見えになりました。
その方は、NHKの「ラジオ深夜便」という番組のディレクターで、バーランド・和代さんとおっしゃいます。バーランドさんは「24年間もこの活動をなさっているんですね」と活動の長さに目を丸くされ、「なぜこの活動を始めたのですか?」「どのような活動ですか」「高度医療の病院で、ボランティアが活動するために、どんなことに気をつかっておられますか?」「こんなに長くボランティアを続けてこられたのはどうしてでしょう」などと、いくつかの質問をされました。
そして放送は5月7日と決まり、収録は4月16日、渋谷のスタジオで行われました。初めてNHKに行き、スタジオに入りました。スタジオには、機械の調整をする男性が一人いらして、バーランドさんと私が、向き合う形で座ります。バーランドさんは、言葉を丁寧に、ポイント、ポイントで、先に述べたような質問をなさって、私が答えていきます。あっという間に1時間がたちました。
私は普段、ラジオはほとんど聞きません。テレビでニュースをみたり、情報を得ているので、どのような方が午前4時の時間帯に、番組を聞いておられるのか?知識のないまま、収録にのぞみました。
ところが放送後、驚きました。その日から電話、メールが次々に入ってきました。
30年前に勤めていた保育園の園長先生、NPO会員、福島で農業をしている友人、遊びのボランティア仲間、見ず知らずの方々からも、感想や激励、ご寄付もいただいております。「心にしみるいい話だった」「20年以上も、お疲れ様」「ぜひ、寄付させてください」などなど、ひと月たった今でも、問い合わせをいただいています。
これらの反響に、あらためて、時代が求める活動であることを確認しました。
今、私たちの社会は核家族が増え、働く女性も増えています。そうした中で、子どもが病気になったとき、きょうだいもいれば、誰が付き添うのでしょう?小児がんのように入院が月単位、年単位になるとさらに大変です。実際小児がんの2歳の子どもが、たった一人で個室にいたりします。24年も、難しい医療現場で私たちが踏ん張っているのは、ここを離れられないほど、病気の子どもと家族は多くの困難を抱えているからです。けれども病院で活動するボランティアの働きは、まだあまり知られていませんし、ボランティアを採用しない病院も多いのです。
この度、ラジオを通して、私たちの活動を伝える機会をいただき、大変ありがたいと思っています。バーランドさんは、私が緊張しないよう、リラックスできるように、気配りされ、肝心な話を引き出す名人でした。また、バーランさんは、3児のお母さんということでした。それだけに、「多くの方々にこの話を伝えたい!」という熱意が私にぐいぐい伝わってきました。心にしみるいい番組」作りは聞き手である優れたアンカーによって生まれていくのだと思いました。
バーランド和代さん(右)とスタジオで
全国小児病棟遊びのボランティアネットワーク第3回の抄録が出来ました
全国小児病棟遊びのボランティアネットワーク第3回について
大阪で開催されました。88人の参加がありました。医療関係者ほか、患者家族、本人、HPS、大学教員、学生、ボランティア、コーディネーター等が参加されました。愛知、広島、京都、大阪、兵庫、東京、神奈川、福岡、沖縄からもご参加戴きました。以下参加者の感想の抜粋をご紹介します。
▼ボランティアを始めたばかりです。それぞれの立場のお話で、多角的な視点を得ることが出来ました。
▼コーディネーターのガッツをすごく感じました。
▼全国のボランティア、パイオニアの方たちの熱い思いを強く感じ、ネットワークで今のいろいろな課題を乗り越えられる希望を感じた。
▼ボランティアの大変さ、奥深さ、定義を再確認することとなり、自己実現のために続けていきたいと思いました。
▼離島で他県の情報が得にくい私たちにとって、とっても実りの多い、貴重な一日です。
▼ボランティア活動は活動の数だけ多様性があり、コーディネーターの方が一から、ゼロから悩み、苦しまれ、今を築かれ、ボランティアの方々が笑顔で生き生きと活動され、それが子どもたちに届き、また子どもたちから笑顔が生まれ、また自分たちに返って来る、すごい大きな輪のお話を聞くことが出来、とても貴重な時間でした。
▼子どもたちに対する熱い思いで活動されている仲間がたくさんいることを知り、心強く思いました。
▼活動を継続させるためにも公的な支援がもっと普及すればと思いました。
参加者の方々と
抄録の欲しい方は事務局にお問い合わせください
2014年度のご報告
2014年度の主な出来事
1991年6月に、国立国際医療研究センターの小児病棟に生まれたガラガラドンはこの6月で満25歳になりました。支援は病院だけでなく、退院後にも及んでいます。病院の訪問では毎週土曜の訪問が44回、長期児の個室の個別訪問では69回、退院後の支援を併せて117回応援しました。子ども延べ444人に対してボランティアは延べ490人がつきました。安全に留意しひとりひとりを大切にしています。この個人訪問の中では小児がんの治療を受けていた1歳児がいました。ママは日中、仕事に出かけ、仕事をもっておられました。核家族や一人親、女性の就労も増えている時代に、ボランティアニーズはますます高まっています。同時に在宅訪問のニーズも高まっています。幼い子どもの通院の付き添いも新たに加わりました。
2014年の伊豆高原アンダリゾートホテルの招待は、5回目でした。長期入院を経験した8人の子どもと親ときょうだい23人と、ボランティアも併せて30人が参加しました。9月には、4年半ぶりにプレイルームがオープンしました。ガラガラドンでは、テーブル、椅子、ソファ、おもちゃなどを寄付しました。
今では点滴をひきずってたくさんの親子がプレイルームにやってきて、子どもたちのたくさんの笑顔に出会えています。
12月には読売新聞と共同通信の取材があり、記事になりました。共同通信の配信は把握しているだけでも全国25紙で、西日本新聞では夕刊のトップ扱いでした。
このほか、3月には全国小児病棟遊びのボランティアネットワーク第3回の交流集会を開催。各地で活動しているボランティアらを呼びかけて4団体の共同代表らと開催しました。その他、大学・大学院を卒業された方の声を紹介します。そして、松下竹次先生がご退官されました。ガラガラドン設立から今日まで温かく見守り、励まし、ご指導いただきました。松下先生なくしてガラガラドンは生まれなかったでしょう。そしてこんなに続かなかったでしょう。松下先生、ありがとうございました。
おもなブログ↓
伊豆高原 http://asovo.at.webry.info/201409/article_2.html
プレイルームオープン http://asovo.at.webry.info/201410/article_1.html
在宅支援
りくくんの事例http://asovo.at.webry.info/201409/article_3.html
あかねちゃんの事例http://asovo.at.webry.info/201504/article_1.html
全国小児病棟遊びのボランティアネットワーク第3回
大学院を修了いたしました
あかねちゃんに会いに北海道へ
2015年3月22日(日) 訪問:坂上
{%女の子スキ!hdeco%}あかねちゃん紹介
あかねちゃん、1995年生まれ(今20歳)
3年前、白血病の治療のため国立国際医療研究センターの小児病棟に入院していたあかねちゃんは、北海道から来ていました。約1年闘病して北海道に戻りました。昨年9月に再発がわかり、今度は地元の病院で治療を受けることにしたと報告がありました。
この間、ボランティアを恋しがるメールが何度か届いたので移植を受ける前の10月とこの3月にも北海道の病院にお見舞いのため飛んでいきました。
10月の訪問から5か月ぶりです。朝8時に羽田をたち、12時に病院に到着しました。今は、白血球数もあがってほぼ正常の数値となり、移植も生着しているということでした。
ドアをノックするとあかねちゃんが座って待っていてくれました。
「わあ、坂上さん、よく遠くまで来てくれたね」
「やせたね」
「うん 今39キロ、食べられないからこれやってるの」、指の先に高カロリー輸液が入っていました。
すっかり細くなったあかねちゃんの様子からどんなに厳しい状況で治療を受けているかわかりました。
「ここは、友達に会えない、ボランティアもいない、ママも来れるのは週末だけ、さみしいし、やることがない」と言います。
あかねちゃんの病室は小児病棟でした。とくに、小児がん治療は感染のリスクが高いので、厳しい面会制限があります。両親以外で、面会できるのは祖父母のみ。それも、面会時間は2時間と決まっています。
自宅は車で3時間、けっして近いとは言えません。冬は雪の道路を3時間走るのも容易ではないでしょう。仕事もあって、週末しか来れないママもどんなに辛いだろうかと思いました。
実は、坂上は東京在住のおばあちゃんてことになっています。
ママが「今日は、ずっと座っているのね、辛かったら寝てていいのよ」と言いますが、あかねちゃんは、「座っていたいの」といってずっと座っていました。途中、入って来たナースも「今日は顔色が良いわね」と声をかけていました。ママは、座っている茜を久しぶりに見たといっていました。
それと「今は何も食べられない」と言っていたあかねちゃんが、この日はぽりぽりとじゃがりこを食べていました。
そういう姿をみて、「あら、今日は食べられたね」っててママも嬉しそうでした。
3時ごろ、廊下に出たママが病室に戻ってくると、ちょっと険しい顔になっていました。ナースに呼び止められ、「祖父母の面会は2時間ですよ」と言われたからです。「今日はあかねのために、東京からおばあちゃんがわざわざ面会に来るということは事前に伝わっているのに」、あかねちゃんもママも暗い表情になりました。でも私は4時までねばって、おいとましました。
私たちが活動する病院では同じ病気でもボランティアがクリンルームにも入って、子どもたちの遊び相手をしたり、親御さんにレスパイトケア(休息)の提供をしています。お見舞いの制限は止むおえないことかもしれませんが、祖父母は2時間、それ以外の面会は禁じるという病院を悲しく思いました。
あかねちゃん、もうひとふんばり、がんばって!夏にボランティアを誘って北海道にいくからね。一緒にたくさんお話しようね!さかうえ
あかねちゃんと
松下先生退官祝いに参加して
2014年 忘年会
2014年12月20日 (土)17:00~ 出席11 人
石井 阿部親子 山本 今泉 萬谷 佐藤 米中 伊藤 田生 坂上
締めくくりのガラガラドン忘年会、参加メンバー持ちよりのご馳走に囲まれ、しみじみと幸せを噛みしめたひとときでした。悲喜こもごものそれぞれの1年間をありのままに語り、共有することで、みんなが自然に涙目になり笑顔になる、温もりに包まれたこの場所を支えて下さったすべての方々に、心より感謝申し上げます。萬谷
様々な手作り料理が並び、豪華な忘年会となりました。1人1人の今年のニュースを発表することから始まり、笑いあり、涙ありの楽しい時間でした。遊びのボランティアには素敵なメンバーがいっぱいだと改めて感じました。佐藤
今日は忘年会に誘っていただき、ありがとうございました。皆様の1年の思いを聞かせて頂き、また色々お話しさせて頂き、楽しい時間をありがとうございました。角煮、お好み焼き、ラザニア、おでん、タイカレー、おにぎりなど、皆様の持ち寄り1品もとてもおいしかったです!来年度もどうぞよろしくお願いします。 今泉
論文提出の期限が迫るものすごくお忙しい中でもこのような忘年会を企画してくださる坂上さんに感謝です。メンバーそれぞれが持ち寄ったおいしいごちそうをいただきながら、今年もガラガラドンの一員として活動に参加できたこと、笑顔いっぱいの時間を過すことができたことをありがたく思いました。3年前からチャレンジしていた保育士試験に今年はやっと合格することができました。家族と周囲の人たちに支えられて今の自分がいることに感謝し、来年もしっかり頑張っていきたいです。阿部
2回目の参加となる忘年会では久しぶりにガラガラドンのみなさんとお会いしてたくさんのお話が聞けてとても楽しかったです!お料理もすごくおいしかったです。今年もありがとうございました。来年も絵を描くことなど頑張ります。
阿部の娘
活動を初めて一年経ち、忘年会は初参加でした。初めてお会いする方もいましたが、同じ志を持つ方達とは、直ぐに打ち解けられ、自分の胸につかえていた事も聞いて頂けたので、とても貴重な時間を過ごせました。このようなご縁を作って下さる坂上さんには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。米中
今年は修士課程2年で修士論文におわれ、皆様におんぶにだっこの状態で、コーディネーターも担っていただき、ありがとうございます。もう一息がんばります 坂上
手作りのごちそうを囲んで