病気になってもいっぱい遊びたい

私達は、病院で子どもと遊ぶボランティアです。退院してからも出会いの場を大切にしています。

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全国小児病棟遊びのボランティアネットワーク第3回の抄録が出来ました

全国小児病棟遊びのボランティアネットワーク第3回について

大阪で開催されました。88人の参加がありました。医療関係者ほか、患者家族、本人、HPS、大学教員、学生、ボランティア、コーディネーター等が参加されました。愛知、広島、京都、大阪、兵庫、東京、神奈川、福岡、沖縄からもご参加戴きました。以下参加者の感想の抜粋をご紹介します。

▼ボランティアを始めたばかりです。それぞれの立場のお話で、多角的な視点を得ることが出来ました。

▼コーディネーターのガッツをすごく感じました。

▼全国のボランティア、パイオニアの方たちの熱い思いを強く感じ、ネットワークで今のいろいろな課題を乗り越えられる希望を感じた。

▼ボランティアの大変さ、奥深さ、定義を再確認することとなり、自己実現のために続けていきたいと思いました。

▼離島で他県の情報が得にくい私たちにとって、とっても実りの多い、貴重な一日です。

▼ボランティア活動は活動の数だけ多様性があり、コーディネーターの方が一から、ゼロから悩み、苦しまれ、今を築かれ、ボランティアの方々が笑顔で生き生きと活動され、それが子どもたちに届き、また子どもたちから笑顔が生まれ、また自分たちに返って来る、すごい大きな輪のお話を聞くことが出来、とても貴重な時間でした。

▼子どもたちに対する熱い思いで活動されている仲間がたくさんいることを知り、心強く思いました。

▼活動を継続させるためにも公的な支援がもっと普及すればと思いました。

参加者の方々と 

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抄録の欲しい方は事務局にお問い合わせください

2014年度のご報告

2014年度の主な出来事

1991年6月に、国立国際医療研究センターの小児病棟に生まれたガラガラドンはこの6月で満25歳になりました。支援は病院だけでなく、退院後にも及んでいます。病院の訪問では毎週土曜の訪問が44回、長期児の個室の個別訪問では69回、退院後の支援を併せて117回応援しました。子ども延べ444人に対してボランティアは延べ490人がつきました。安全に留意しひとりひとりを大切にしています。この個人訪問の中では小児がんの治療を受けていた1歳児がいました。ママは日中、仕事に出かけ、仕事をもっておられました。核家族や一人親、女性の就労も増えている時代に、ボランティアニーズはますます高まっています。同時に在宅訪問のニーズも高まっています。幼い子どもの通院の付き添いも新たに加わりました。

2014年の伊豆高原アンダリゾートホテルの招待は、5回目でした。長期入院を経験した8人の子どもと親ときょうだい23人と、ボランティアも併せて30人が参加しました。9月には、4年半ぶりにプレイルームがオープンしました。ガラガラドンでは、テーブル、椅子、ソファ、おもちゃなどを寄付しました。

今では点滴をひきずってたくさんの親子がプレイルームにやってきて、子どもたちのたくさんの笑顔に出会えています。

12月には読売新聞と共同通信の取材があり、記事になりました。共同通信の配信は把握しているだけでも全国25紙で、西日本新聞では夕刊のトップ扱いでした。

このほか、3月には全国小児病棟遊びのボランティアネットワーク第3回の交流集会を開催。各地で活動しているボランティアらを呼びかけて4団体の共同代表らと開催しました。その他、大学・大学院を卒業された方の声を紹介します。そして、松下竹次先生がご退官されました。ガラガラドン設立から今日まで温かく見守り、励まし、ご指導いただきました。松下先生なくしてガラガラドンは生まれなかったでしょう。そしてこんなに続かなかったでしょう。松下先生、ありがとうございました。

おもなブログ↓

伊豆高原 http://asovo.at.webry.info/201409/article_2.html

プレイルームオープン http://asovo.at.webry.info/201410/article_1.html

在宅支援

りくくんの事例http://asovo.at.webry.info/201409/article_3.html

あかねちゃんの事例http://asovo.at.webry.info/201504/article_1.html

全国小児病棟遊びのボランティアネットワーク第3回

http://asovo.at.webry.info/201506/article_2.html

松下先生ご退官 http://asovo.at.webry.info/201503/article_2.html

大学院を修了いたしました

2015年3月19日(木) 武蔵野大学大学院修了式  修了式式参列者9人  育ての親 シスター方と
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入学式に孫と(2013年4月・58歳)
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修了式に孫と(2015年3月・60歳)
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2013年(H25年)4月入学(58歳)武蔵野大学大学院人間社会研究科実践福祉学専攻 2015年(H27年)3月修了(60歳) 働きながら、大学院、この年で、本当にきつかったです。この2年、「生きて大学院出られるのかな?」「今、東京に大震災が起きたら、論文出さないですむかなあ」、なんてこと、考えていました。論文提出したら2か月近く、倒れてました(>_<) このブログで昨年9月「大学院生やってます」でも報告しましたが、(http://asovo.at.webry.info/201409/article_4.html)この2年、大学院に通って、ソーシャルワーク研究をしていました。 武蔵野大学は構内に入ると樹木が茂って、四季折々に花々が咲いて、自然が豊かな大学です。新宿から中央線で約20分、三鷹にあり、バスに乗り継いでいきます。 まさか、60近い年で大学院は、人生設計にないことでした。 きっかけは大学時代の恩師に勧められたことによります。 先生とは、たまたま、ある会場でばったり。 「今度、武蔵野大学で働く人が学べるように、夜間の大学院が開設されたの。坂上さんにぴったりだと思うのよ。坂上さん、とってもいいお仕事されているし、それに今のままだともったいないと思うのよ。私も今、そこで教えているの」、恩師は、この大学院の開設に関わっており、大学の学長までなさった先生でした。 恩師のお言葉はもったいないほどで、「もし、入れていただけたらがんばります!」とお答えしました。そして現実が始まると、「しまった!!」と思っても後の祭り。ジェットコースターは動き出し、ゆさぶられっぱなしの2年間。 1年目でほぼ単位を取得し、2年目は修士論文に全力疾走。入学当時は江東区に住んでいて、5時に事務所をとび出て、帰宅は毎日11時すぎ、これでは体を壊すと思い、とうとう12月に新宿に引っ越し。少しでも大学と職場に近くに、体が少しでも楽になるようにと。 学期末はレポート提出、論文の文献も集めなくては、楽しいことはお預け、鏡なんてみる時間もなく、毎日くたびれきっていました。よりによってこんな時期に認定NPOを取得しました。(これはやった人でないとわからない煩雑な手続きを要します)、新病棟にプレイルームの開設もおもちゃや備品を揃えて、いくつもの助成金を申請し、仕事と学問の両立のきつさ。 そして、手痛い出費!引っ越し、学費、本代、交通費、お金は出ていくばかりでした。 論文のテーマは「こども病院におけるボランティアコーディネーターの役割の検討」としてA4100枚と資料含め150枚になりました。引用文献は約70、参考文献40、くらくらするほど、勉強しました。おかげさまで修了できましたこと、ご報告申し上げます。 {%拍手webry%}お祝いの言葉 よりによってこの2年間で、お引越し、大きなお金は動きましたが、まだまだ坂上さんが切り開いて行く道があると学ばれた大事な期間だったのだと思います。病院ボランティアコーディネーターの発展に坂上さんが一役買うかもしれません。私はきっとそうなるのだろうと思っています。本当にすごいことをやり遂げられた2年間でした。改めてお疲れ様でした。 ボランティア 佐藤 {%桜webry%}苦節十数年…言うに言われぬご苦労を乗り越えられたら結果、今日があるのだと思い、嬉しく・感動しています。振り返って坂上さんは40代半ばで、大学進学、続いてNPO設立、社会福祉士取得、大学院に進み、修了と言う大事業を見事こなされました。そのご努力と有効な時間の使い方は、見習いたくても出来ない仕業です。今後益々のご活躍を楽しみにしています。お孫さんとのツーショットは、何よりです。二年間の成長が共にお祝い出来ますね。 次回ボランティアの後、ささやかなお祝いを…と思っています。ボランティア門田 {%クローバーwebry%}睡眠時間削っての2年間、よくがんばりました ボランティア古賀 {%花火webry%}晴れておめでとうございます。国内外と大いに力を発揮してください 友人・氏家 {%結婚webry%}挫折することなく達成できたこと神様のお恵みと感謝します。体は痛みつけられています。勉強の成果を生かすためにも、まずは身体づくり、心がけて下さい 理事萬谷

あかねちゃんに会いに北海道へ

2015年3月22日(日)  訪問:坂上

{%女の子スキ!hdeco%}あかねちゃん紹介

あかねちゃん、1995年生まれ(今20歳)

3年前、白血病の治療のため国立国際医療研究センターの小児病棟に入院していたあかねちゃんは、北海道から来ていました。約1年闘病して北海道に戻りました。昨年9月に再発がわかり、今度は地元の病院で治療を受けることにしたと報告がありました。

この間、ボランティアを恋しがるメールが何度か届いたので移植を受ける前の10月とこの3月にも北海道の病院にお見舞いのため飛んでいきました。

10月の訪問から5か月ぶりです。朝8時に羽田をたち、12時に病院に到着しました。今は、白血球数もあがってほぼ正常の数値となり、移植も生着しているということでした。

ドアをノックするとあかねちゃんが座って待っていてくれました。

「わあ、坂上さん、よく遠くまで来てくれたね」

「やせたね」

「うん 今39キロ、食べられないからこれやってるの」、指の先に高カロリー輸液が入っていました。

すっかり細くなったあかねちゃんの様子からどんなに厳しい状況で治療を受けているかわかりました。

「ここは、友達に会えない、ボランティアもいない、ママも来れるのは週末だけ、さみしいし、やることがない」と言います。

あかねちゃんの病室は小児病棟でした。とくに、小児がん治療は感染のリスクが高いので、厳しい面会制限があります。両親以外で、面会できるのは祖父母のみ。それも、面会時間は2時間と決まっています。

自宅は車で3時間、けっして近いとは言えません。冬は雪の道路を3時間走るのも容易ではないでしょう。仕事もあって、週末しか来れないママもどんなに辛いだろうかと思いました。

実は、坂上は東京在住のおばあちゃんてことになっています。

ママが「今日は、ずっと座っているのね、辛かったら寝てていいのよ」と言いますが、あかねちゃんは、「座っていたいの」といってずっと座っていました。途中、入って来たナースも「今日は顔色が良いわね」と声をかけていました。ママは、座っている茜を久しぶりに見たといっていました。

それと「今は何も食べられない」と言っていたあかねちゃんが、この日はぽりぽりとじゃがりこを食べていました。

そういう姿をみて、「あら、今日は食べられたね」っててママも嬉しそうでした。

3時ごろ、廊下に出たママが病室に戻ってくると、ちょっと険しい顔になっていました。ナースに呼び止められ、「祖父母の面会は2時間ですよ」と言われたからです。「今日はあかねのために、東京からおばあちゃんがわざわざ面会に来るということは事前に伝わっているのに」、あかねちゃんもママも暗い表情になりました。でも私は4時までねばって、おいとましました。

私たちが活動する病院では同じ病気でもボランティアがクリンルームにも入って、子どもたちの遊び相手をしたり、親御さんにレスパイトケア(休息)の提供をしています。お見舞いの制限は止むおえないことかもしれませんが、祖父母は2時間、それ以外の面会は禁じるという病院を悲しく思いました。

あかねちゃん、もうひとふんばり、がんばって!夏にボランティアを誘って北海道にいくからね。一緒にたくさんお話しようね!さかうえ

あかねちゃんと

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松下先生退官祝いに参加して

2015年3月21日(土曜)   松下竹次先生のご退官祝いに坂上が参加してまいりました。松下竹次先生は国立国際医療研究センター約30年も勤務された小児科のお医者さんです。この3月でご退職ということで、新宿のホテルで退官を祝う会が開催されました。会場にはたくさんの方がお見えでした。200人は超えていたと思います。歴代の小児科医師やナースや師長もお見えになり、それぞれのご挨拶は松下先生を惜しむ思いがあふれていました。会場には懐かしい方々もおみえです。そのお一人が井上師長です。 井上師長はガラガラドンを立ち上げ時の当時(1991年)の師長です。 「まあ、懐かしい!」お互い手を取り合って―。 「師長さんが、ボランティア続けて下さいねって私におっしゃったので、いつ辞めたらいいんだろうと思いながら、まだやってます」 「通信、読ませていただいたいてますよ、頑張って続けてくださって、それ、いつも感謝していたんですよ」 「師長さんが移動でいなくなってしまって、ボランティアのこと相談する人がいなくて困っていたんですよ。でも今日ここにきて、患者さん中心の松下先生がいらしたから、ガラガラドンって続いていたんだなあって、わかりました!」 「あの当時、ボランティア、なかったでしょう、ボランティアを小児科入れたいって、いったら病院から猛反対されたんですよ。何か請願されたり要求する団体になるかもしれないって。私は違うと思いますっていって、やってみないとわからないでしょうって、何とか、ボランティアが入れるように、書類を整えたんですよ、本当にガラガラドンは子どもたちのことを考えて、子どもたちのためによく働いてくださった、私も嬉しいわ、ありがとう、ありがとう」 井上師長さんの話を聞きながら、病院にボランティアをいれることがどんなに大変だったかよくわかりました。 今私は60歳です。当時は36歳でした。もう24年も前のことです。今でさえ、どこの病院でもボランティアが病室に入ったり、子どもや家族そばにいくのは簡単ではありません。当時はもっと大変だったでしょう。それを松下先生はじめ、小児病棟の医師やナースたちがガラガラドンを守り、育ててくださったことを確認した会でした。 松下先生の思い出、は、おもちゃ図書館の国際交流の会が日本で開催されたそのときのこと、ガラガラドンの活動を報告しますからと原稿を見せたところ、ちょっと貸してとおっしゃってちゃちゃっと英文にしてくださいました。びっくりしました お忙しい先生がそんなことをしてくださって。それと、ガラガラドンの活動を「社会福祉研究」に掲載するので見ていただいたところ、数字の分からないところは(小児病棟の看護師数など)師長に聞くようにとおっしゃって、師長に繋いでいただきました。国立の病院は、とても固いイメージがありましたが、小児科はいつもこんな感じで、明るくて、風通しがよく、自由な空気が感じられました。これが松下先生の存在感というのでしょう。ボランティアはいつも、松下先生にお会いするわけではありませんが、先生のまなざしは常に感じていました。長きにわたり、ボランティアのことも温かく見守ってくださってありがとうございました。 ガラガラドン代表 坂上和子  松下先生の似顔絵
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松下先生祝う会 新宿のホテルにて
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2014年 忘年会

2014年12月20日 (土)17:00~ 出席11 人 

石井 阿部親子 山本 今泉 萬谷 佐藤 米中 伊藤 田生 坂上

締めくくりのガラガラドン忘年会、参加メンバー持ちよりのご馳走に囲まれ、しみじみと幸せを噛みしめたひとときでした。悲喜こもごものそれぞれの1年間をありのままに語り、共有することで、みんなが自然に涙目になり笑顔になる、温もりに包まれたこの場所を支えて下さったすべての方々に、心より感謝申し上げます。萬谷

様々な手作り料理が並び、豪華な忘年会となりました。1人1人の今年のニュースを発表することから始まり、笑いあり、涙ありの楽しい時間でした。遊びのボランティアには素敵なメンバーがいっぱいだと改めて感じました。佐藤

今日は忘年会に誘っていただき、ありがとうございました。皆様の1年の思いを聞かせて頂き、また色々お話しさせて頂き、楽しい時間をありがとうございました。角煮、お好み焼き、ラザニア、おでん、タイカレー、おにぎりなど、皆様の持ち寄り1品もとてもおいしかったです!来年度もどうぞよろしくお願いします。 今泉

論文提出の期限が迫るものすごくお忙しい中でもこのような忘年会を企画してくださる坂上さんに感謝です。メンバーそれぞれが持ち寄ったおいしいごちそうをいただきながら、今年もガラガラドンの一員として活動に参加できたこと、笑顔いっぱいの時間を過すことができたことをありがたく思いました。3年前からチャレンジしていた保育士試験に今年はやっと合格することができました。家族と周囲の人たちに支えられて今の自分がいることに感謝し、来年もしっかり頑張っていきたいです。阿部

2回目の参加となる忘年会では久しぶりにガラガラドンのみなさんとお会いしてたくさんのお話が聞けてとても楽しかったです!お料理もすごくおいしかったです。今年もありがとうございました。来年も絵を描くことなど頑張ります。

阿部の娘

活動を初めて一年経ち、忘年会は初参加でした。初めてお会いする方もいましたが、同じ志を持つ方達とは、直ぐに打ち解けられ、自分の胸につかえていた事も聞いて頂けたので、とても貴重な時間を過ごせました。このようなご縁を作って下さる坂上さんには感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。米中

今年は修士課程2年で修士論文におわれ、皆様におんぶにだっこの状態で、コーディネーターも担っていただき、ありがとうございます。もう一息がんばります 坂上

手作りのごちそうを囲んで

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厚生労働省訪問

2014年10月7日 火曜 14:50~16:10

訪問先 厚生労働省雇用均等・児童家庭局 母子保健課

出席  4人 萬谷 坂上 大竹 村上

担当職員:課長補佐と係長 2名

訪問の目的

入院児の置かれている現状と療養環境の改善のために遊びのボランティアの声を厚労省に伝えにいきました。

ご存じですか?「小児慢性特定疾病病児童自立支援事業」これは遊びのボランティアにかなり関与している新しい事業です。

http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/14siryou2.pdf

これまでの小児慢性特定疾患を抱える子どもと家族は医療費の助成が主なものでした。しかしこの度、H26年5月に児童福祉法の一部が改正され、その中に「小児慢性特定疾病児童等の自立支援事業」が盛り込まれました。小児がんなど、退院しても地域でいろいろな問題を抱えている子どもには、入院中から退院後も切れ目のない支援が出来るようにいくつかの事業が盛り込まれています。

自立支援事業は現段階では必ずやるべき必須事業が二つ「相談支援事業」と「自立支援員」があります。その他は、任意事業として①療養生活支援事業、②相互交流支援事業、③就職支援事業、④介護者支援事業、⑤その他の自立支援事業 があります。

これらの自立支援事業が、私たちの活動とどう関わりがあるのか、いまひとつわからず、「全国小児病棟遊びのボランティアネットワーク」( http://asobivolnet.com/)のみなさんと出かけて聞いてきました。

この自立支援事業は27年の1月からスタートします。27年度全体では9.3億円の予算がついています。事業の内容は現段階で検討中のものもあり、いろいろな方の意見を聞いているところだそうです。私たち遊びのボランティアは療養生活支援事業や相互交流支援事業を実際に行っていますが、これからの方向に光が差してきたように思いました。行政の方にボランティアたちが直接このような声を届けたのは初めてだと思います。 坂上

厚生労働省の前で 遊びのボランティア共同代表

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参加者の発言

{%クローバーwebry%}子どもは4歳で小児がんになり、4年間ほとんど家に帰れませんでした。病院にはとてもよくしてもらいましたが、遊びまでは手がまわりません。遊びが大切だなんて当時は気がつかなくて、その日、その日が精いっぱいでした。後から思うと子どもは病院で成長していたことに気が付きました。入院中の子どもの成長を助けてあげたい、お母さんたちにも笑顔を届けたいと現在ボランティア活動を始めました。7つの病院を回っていますが、病院は外から応援したくても、簡単ではないんですね。 

Q どういうところがですか?

{%クローバーwebry%}抵抗力の弱い子どもたちがいるのでボランティアは抗体検査やレントゲン検査が必要ですがそれには1万とか2万とか、かなりお金がかかります。せめて検査は病院が出しますよとか、何かその負担を軽減される、ボランティアが入りやすいしくみが必要だと思っています。それから病院は土日はボランティアを入れないとかってあります。実際には土日も家に帰れないような重い患者にこそボランティアは必要で、土日こそボランティアが欲しいと思うんですね。

{%クローバーwebry%}ほかの病院でもボランティアいりませんとか、病棟に入るのは厳しくて、入れたとしてもある程度外来を経験してからとか、病院によっては学生を断ります。継続性がないからだそうですが、学生は子どもにとっても人気があるんです。ボランティアをつなぐ仕組みがないことが問題だと感じています。海外はシステムとして整っています。

{%クローバーwebry%}わたしの場合は6年前に子どもを亡くしました。子どもは地方の病院で闘病したのですが、その病院は院内学級があったので、入院生活も友達が出来て救われました。東京に転勤してから、東京の病院で遊びのボランティアに参加したんですが、高度医療の病院なのに、院内学級もなく保育士もいなくて、クリーンルームから一歩も出れない子どもがいることやそれをボランティアが補っていることを知ってびっくりしました。地方の病院ではボランティアが病棟に入ることなど絶対に考えられなかったからです。実際にボランティアをやってみて、ボランティアに対する見方が変わりました。ボランティアと子どもが笑う時間、たのしい時間が繰り広げられ、親御さんもほっとできる時間をボランティアは提供しています。今は大阪に転勤して、大阪でボランティア活動に関わっています。いろいろな病院を見てきて、病院にボランティアが関わるのは容易ではないことがわかります。それだけにボランティアの横のつながりが大切だということを感じているところです。こういう方法があったらやれるとか、お互いの知恵を共有し、病院にもボランティア導入の働きかけしていきたいと思っています。

{%クローバーwebry%}その他、たとえば病院にはきょうだいを連れていけないのできょうだいをみて欲しいとか、小児がんはクリンルームで閉鎖的な環境にいますが、年齢でいえばとくに乳幼児が多いのに乳児は何もない。保育士もいない病院が多いし、いたとしても充分ではない。一人親は仕事をやめられませんから、小児がんでまだ2歳くらいでも付き添いなしでクリーンルームで治療を受けていたりします。看護師も十分ではなく夜はもっと足りない。そういう環境にボランティアが入るのも難しい。そうなると子どもたちが泣いているし、親も疲弊している。そういう問題を行政の人にも知って欲しいんですね。3月14日にの交流会があるのですが、ぜひ来ていただいて、ボランティアたちの声も聞いて欲しいと思っています。 

{%クローバーwebry%}児童福祉の分野では子ども家庭支援センターが設置されるなどだんだんに充実してきています。社会にはそういう子育ての支援があるのですが、病気という場は、利用できる保育サービスがほとんどありません。遊びのボランティアは新宿区の訪問保育から始まった活動ですが、保育サービスが区民しか利用できないとなると、他の区の子どもにはボランティアでしか対応できなかったわけです。病院に入院している子どもの福祉サービスを自治体で決める難しさもあるります。その点、今度の自立支援法は、都道府県・指定都市・中核市で国庫負担1/2、で、対象の範囲が大きくなるし、やっと病児に光があたってきて、支援するボランティアに助成の可能性も広がると期待しています。